「置いてきぼり」のはてなマジョリティ

はてなマジョリティを考慮して

一日中ネットに張り付いているような人たちが、新しいネタやサービスを追いかけ続けているその後ろに、置いてきぼりにされた大集団、みたいなものがあって、実はそちらがマジョリティなのだ、という現在の構図がようやく最近実感としてつかめてきた気がする。

しかし、今のまま行くと、単にインターネット好きの人々が集まるたこつぼを作るだけで、ネットの進化は別の方向に行ってしまう可能性があるという強い危惧を感じる。

たとえば、「ウクレレ記法」にはユーモアを感じますが、マジョリティ向けではないでしょう。「楽譜記法」の方が多くの楽器に対応できます。「MML記法」はありますが、やはり楽譜的GUIなどがないと、MMLの習得コストがあるので、音楽をやっている人ですら、使う人が限られるでしょう。

はてなのサービスは、数十人〜数百人が面白いとはてブで賞賛して、でも大部分の人は実際に使わない、「完成度50%」の単発サービスが多い印象です。たとえそれが100個、200個と増えても、メジャーにはならないと思われます。100個の「ウクレレ(や他の楽器)記法」より1個の「楽譜記法」があった方が潰しが利きます。

「楽譜記法」でも専門的なので、メジャーを指向するのであれば、さらに多くの人が使えるようなサービスが求められるでしょう。それは新サービスでなくても、今あるサービスの増強でも構いません。また必ずしも、地図・路線・辞典・翻訳・天気……といった既存のサービスに追随せよ、ということではありません。必要とされるのは、みんながほしい普遍的な欲求は何だろうという、他者への想像力です。

はてなは人材や技術や資金や色々なものに恵まれ、どのサービスもユニークで面白いと思います。ただ、はてな社員がサービスを作るところで終わりではなくて、ユーザが使うまでが「ものづくり」だと思うんですよ。ユーザ不在のCGMWeb2.0もないでしょう。つまり現状、ギークが作りたいものとユーザが使いたいものが、やや解離していると考えます。

だから、私の感覚としてはこうなります。

一日中はてな村に張り付いているような人たちが、新しいネタやサービスを追いかけ続けているその後ろに、置いてきぼりにされた大集団、みたいなものがあって、実はそちらが(はてな)マジョリティなのだ、という現在の構図がようやく最近実感としてつかめてきた気がする。