この現実が仮想現実なら

この現実は仮想現実か

その論文は読んでいないので、論文自体の話はできないが、仮想現実に関する議論は以前からあり、別に今までなかった主張ではない。例えば、「オメガ点理論」がある。ここでは、物理学的な議論より広い、仮想現実論・シミュレーション論を見ることにしよう。

まず、シミュレーション論の主張を、デザイン論と区別しよう。シミュレーションにデザインは不可欠ではなく、デザインは単なるシミュレーションではない。この両者の関係にはやや複雑なところがあるが、説明が長くなるので注に回す*1

さて、シミュレーション論の論理展開は、だいたいこんな感じだ*2

  1. シミュレーションが可能になる前に科学文明が滅亡せず、技術に関心がある。
  2. シミュレーションによって、人間と同程度の意識を作り出すのは不可能ではない。
  3. この世界はシミュレーションだ。あなたはシミュレーションの意識だ。

1.が成立するかどうかは、高度な科学文明のリスクによる。現に核兵器があるので、シミュレーションを作れる前に高確率で滅亡しても、おかしくはない(もちろん、人類には滅亡して欲しくないが)。また、反対・抵抗はあるだろうが、仮想現実への関心はあるだろう。文明には再帰的構造があるからだ*3

2.には、人間が経験できることは脳を通した情報なので、ソフトウェアだけでシミュレーションできるだろう、という想定も含まれている。ソフトウェア音源もスピーカで音がなるように、ハードウェア構成が必須だと成立しない。

3.を肯定するかどうかは、1・2に加えて、宇宙が複数存在するかどうかだろう。1・2が成立した前提で、無数に宇宙があるのなら、宇宙シミュレーションが誕生する確率が高い。しかも、二階以上のシミュレーションが可能なら、シミュレーションの大量生産(宇宙のインフレ)が生じる。すると遡って、この宇宙がシミュレーションである確率も高い。

このシミュレーション世界観に加えて、進化論を採用すると、人間の特権性というものは、なくなる。生命ひいては人間の誕生は、偶然の産物というだけではない。人間のような知的生物の誕生も、確率的に希少な「奇跡」などではなく、多くの宇宙で繰り返される、ごくありふれた出来事になる。

これは、世間一般の感覚からすると、グロテスクな懐疑のように思われるかもしれないが、分かりやすい話にすると、(かなり雑な話で感覚的だが)つまりこういうことだ。本を読むとき(あるいはネットを見るとき)、その情報は複製されたもので、唯一ではないだろう。だから、そういうコスト的な事情から、この宇宙はコピペ宇宙かもしれない……。

この現実が仮想現実なら

しかしそもそも、この宇宙が、単一か複数か、現実か仮想か、といったことは、日常生活に支障がない。先の論点は、日常から見る限り、形而上学的解釈論に近い*4

つまり、こういうことだ。「ラーメンが美味い」といった経験は、この宇宙がオリジナルかどうかとか、私の意識がシミュレーションであるかないかとか、そういったことに関係なく美味いのである。

いや、別の宇宙に行ったら、もっとラーメンが美味しいという風に、比較対照することができれば、意味があるだろうが、現時点でそれはできない。あるいは、「夢の中で経験したことの方が〜」ということから、類推することができなくもない。

だが、少なくとも、「全てが虚構」というのは、ありえない。というか、情報的に無価値だ。贋作しかない絵画や、偽札しかない貨幣というのは、論理的に存在しない。人生全部が夢ならそれは現実だし、世界全体が仮想現実ならそれは現実なのだ。

映画『マトリックス』のように、この現実の外部に出ることができれば、それまでいた場所を相対的に虚構だと言えるが、外に出た現実がさらに虚構である可能性も残る。例えば、先に述べた二階以上のシミュレーションの可能性があるだろう。

では結局、何が判断基準になるのか。それは「構造」や「情報」だ。これらは、有用性で判断できる。仮にこの世界がシミュレーションだとしても、シミュレーションの構造があり、シミュレーション内で有益な情報がありえる。

この世界が物理シミュレーションで再現したものに過ぎなくても、そのシミュレーションにおいて運動方程式が観察・実験でき、運動の制御(車を走らせるだとか)において、有効だろう。この現実が「マトリックス」だとしても、「マトリックス」の自然法則があるのだ。だから、「世界の実在」に関係なく、科学や他の分野に存在意義がある。そして、それを使う人間も。

この現実が仮想現実なら……何も変わらない。

*1:かりにこの世界がシミュレーションであるとして、それは複数の世界の自然淘汰の結果、進化して生き残った世界(生き残ったというのは、たとえば人間程度の知性の誕生が成功するかどうかといった意味)だ、という想定がありえるだろう。また、この世界はインテリジェンスによってデザインされている、あるいはいない、といったことがかりに証明できたとしても、この世界がシミュレーションである場合、さらなる基底的現実に対して適応できるかどうかは、依然として不明である。

*2:話を分かりやすくするために、私の解釈がやや入っている

*3:たとえばプログラミングに再帰的処理があるように

*4:たとえば物理学におけるシミュレーション的宇宙観は、物理学の範囲内の計算に基づく限り、形而上学ではないのだが、日常生活からは限りなく遠い