萌えの定義

前書き

「萌え」という語が実際に使われる場面はそれほど多くない。それは例えば今の2ちゃんねるで、「厨房逝ってよし!」というレスをさほど見ないのと同じだろう。いわば古典化している。しかし、古典的な語だからこそ、分析する意義もあるのだ。

「萌え」という語が現実に使われるときの用法はもちろん多岐に渡るが、その全てをカバーして記述しようとすると、かえって焦点がぼやけた把握になってしまう。シンプルなモデルで考え、「萌え」という概念はそれ以前とどこが違うのか、明確にするのがここでの目的だ。

「愛」と「萌え」との違い――時間と空間――

  • 「好き」
    • 個体への「愛」
    • 属性への「萌え」

まず、「萌え」が「好き」と、単純にイコールで言い換えられるのであれば、そもそも分析に値しない。実際、そのような意味でも使われているが、ここではどう違うかを明確にするために、近代的な「愛」と対比させる。

  • 「愛」
    • 「Aさんの属性aもbもcも含めて愛している」
  • 「萌え」
    • 萌え要素aを含むキャラAもBもCも萌える」

近代的恋愛観は、一対一の個人が相手の全てを認めるのが理想的とされるが、これに対する「萌え」は、どこか刹那的で軽薄なところがある。純粋な萌えでは、いわゆる「萌え要素」という条件属性*1を満たした場合、個体の区別は関係ない。

いや、個体は代わりが利かないという場合、それは愛が混じっているということである。どう区別するのか。「一瞬だけ萌える」ことはあっても、「一瞬だけ愛する」ことはできない。愛とは、時間を掛けて形成するトータルなものだからだ。

「燃え」と「萌え」の違い――全体と部分――

  • 燃え
    • 「aかつbかつcが燃える」
  • 萌え
    • 「aまたはbまたはcが萌える」

「燃え」と「萌え」の使い分けも難しいが、直列と並列というイメージで分ける。例えば、「燃える熱血ロボットアニメ」といったときに、その要素はある程度セットになっていて、部品を単体で切り出すと「萌え」になってしまう。例えばドリルやミサイルの軌跡だけ提示するだとか。

つまり、「部分だけ萌える」ことはあっても、「部分だけ燃える」ことは難しい。微妙な違いなのでもう少し説明するが、今度は「一瞬だけ燃える」ことはあるように思える。例えば、ロボットアニメの出撃・合体シーンだとか。

ただそれが「萌え」と違うのは、それまでのシーンの積み重ね(燃料)から完全に切り離して、単体で提示したら燃えないだろうということだ。萌えが断片に分解するディファレンシャルなものなら、燃えはそれを統合するインテグラ*2なものだからだ。

萌えのモデル

個体A 個体B 個体C
属性a a1 a2 a3
属性b b1 b2 b3
属性c c1 c2 c3
    • Aが単位
  • 燃え
    • a1・b1・c1が単位
  • 萌え
    • a1・a2・a3(a)が単位

単純なモデルを用意すると、上のように区分できる。注意しておくと、これは、実際にこのように区分して使われている、という意味では全くない。そうではなくて、混沌として使われているところから、単純化して析出し、分類するためのモデルなのである。ただし、そう極端に現実から離れてはいないと思う。

ここで、「愛」と「燃え」が同じ意味だと思うかもしれない。それは、「A=a1・b1・c1」単体を見るときにのみ成立するが、「D=a1・b1・c1」のときに違いが明確になる*3。同じ燃えだが同じ愛ではない。もっと平たく言うと、そっくりさんが現れたから浮気したら、それは愛ではないのだ。しかし、同じ要素を備えたものに燃えても構わない。オタクは似たパターンの作品を大量に消費するが、それを肯定するための言葉だと捉えている。

では、「属性a」と「a1・a2・a3」の区別はどうなるのか、という疑問が出るだろう。これは、前者は「属性名+萌え」*4という形で表現される。ここで最も微妙なのは「キャラ萌え」の扱いだ。「キャラ萌え」が可能なとき、異なる個体間で同じキャラクターだという同一性が成立している*5と考える。つまり、「萌えキャラ」というのは「個体の属性化」*6が起こっている。これは「燃えキャラ」の「属性の個体化」*7と対で捉えられる。

結論

あらためて、広義の萌えを定義しよう。「好意」「個体」「属性」という三つの無定義の概念を導入する前提で、同じ好意でも、「愛は個体への好意」*8で「萌えは属性への好意」、ということになる。これでは単純過ぎると思うかもしれないが、「属性名+萌え」を導入すれば、区別には困らない。

要するに、交換可能かどうかが違う。愛のうち特に恋愛は、対象と排他的関係になる。萌えは排他性がない。すなわち、「Aさんだけが好き」というのが恋愛的な愛だが、「メイドさんはこのキャラもあのキャラもそのキャラも…」というと萌えに近いのではないか。

ただし、属性への好意は「フェティシズム」もそうではないか、という疑問はありうる。詳細は別の機会に回すが、簡単に区別しておくと、フェチの対象は実在物だが、萌えの対象は虚構、という区分になる。「眼鏡っ娘萌え」は眼鏡という物体が対象ではないだろう。

ところで、これは静的モデルなので、時間軸がない。しかし、萌え文化は消費サイクルが早いので、速度を考慮しないと現実から離れたモデルになるだろう。その時間と速度を考慮に入れた動的変化の解説や、キャラクターに関するより深い考察については、関連記事を参照してほしい。

*1:これこれこういう形の顔・体が良いだとか

*2:この語を用いているのは、もっとモデルを複雑化する場合、萌え/燃えを微分積分に喩える方向を考えているからだが、ここではなるべく単純明快にする方針にした

*3:ただ、「燃え」を可能にする「キャラ立ち」は、そのような衝突が少ないときに起きる

*4:「メイド萌え」「ツンデレ萌え」「猫耳萌え」「眼鏡娘萌え」…など

*5:同人誌Aの登場人物aも、同人誌Bの登場人物bも、同じキャラクターαの異なる表現だと認められるということ。この同人誌のレイもあの同人誌のレイも、同じ綾波だと認識するということ

*6:これは、固有名の確定記述への還元と、構造が共通していると考える

*7:熱血キャラなどは、一つは一つはパターンであっても、個体として成立していないと、「燃え」ることができないように思われる

*8:「個体」は集合になることがある。「博愛」「人類愛」などという場合だ。その場合も、一人一人の個体の集合を愛しているのであって、属性への愛に変わったわけではないだろう