不快
みんな体育座り
オレだって「普通のオフ会」でhashigotanと話してみたい - 煩悩是道場
繰り返し申し上げますが、私自身としましては性的交渉など存在しない所謂普通のオフラインミーティングが良いと考えていますが、hashigotanさん自身がそれを受け入れるとは考えにくいです。
今回私が提案したオフラインミーティングの趣旨はhashigotanさんの希望を叶える為に名前を公開の場で出された私が出来る事を考えた結果であります。
前回は、プライベートなことに部外者が首を突っ込むのはいかがなものかと思い、控え目に書きましたが、id:ululunさんからの回答があったので、もう少し言わせてもらいます。
東京SEXオフの存在は不快です。ululunさんは指名されたから仕様がない、という風に仰っているけれど、その理屈はよく分からない。
どのみち誰かがオフ会を提案したのでは、と思います。
いや、普通は思い付かないし、思い付いても提案しないですから。ululunの悪ノリは異常。昔のパンツ騒動とかなら、あれはまあ冷静に振り返ると、どーでもいいようなことですが…。
でも今回は絵じゃなくて、リアルで人を集めるわけですから。相手は生身の人間なんです。以前、「実は縦読み」とかありましたが、後で「ネタでした」「釣りでした」で済むレベルじゃないぞと思います。
当事者たるhashigotanさんのお返事待ち。あと、hasigotanさんのセフレもぼしうちう! さもないとみんな体育座りという謎オフになるぉ!
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20071128%231196244666
面白半分の態度じゃないですか…。さすがにちょっと見損なったな。今まで、ululunさんは違和感のあることを言うこともあるけど、人の痛みが分かってやってるのかと思ってました。
オフレポ禁止といったって、増田で書いたらオフの誰かは分からないでしょう(逆に行かなくても嘘を書けるわけです)。撮影禁止といったって、盗撮できるかもしれない。ひどいことを言われたりされるかもしれない。そんな風に、何が起こるか分からないけど、ululunさんは外で「体育座り」して待っているわけです。
思いつきに問題があると思うし、それがもしもネタだとしても、そんなネタを言う神経が分かりません。ニヤつきながら悪ノリする話題にはふさわしくないと思います。
捕まえる者
勝手に事柄が進行していくなら、無理やりクビを突っ込めばいいんだ!
id:sho_taさんは「共同出資者」ということらしいですが、ululunさんに似たノリを感じます。
表題の「ライ麦畑で捕まえる者(CATCHER)」とは、どんな人なのか?
それはホールデン青年が語るところによれば、「子供たちが崖から落ちないように、落ちそうになったら捕まえる者」です。
それで、ululunさんたちが「捕まえる者」なんですか。私にはむしろ、捕まえて崖から落とそう…とまではいかなくても、崖から落ちるところを体育座りして見学しようとしているようにも見えますが…。
ただこの騒動を眺め、何かコメントし、関わるためには、金くらい払うべきじゃないか、と強く思っています。それ以上のことができるとも思えないし、けれども何もしないよりはマシだと思っています。
これも何か引っ掛かります。「この騒動を眺め、何かコメントし、関わるためには、金くらい払うべき」といって、見物料を取ったら本当に見世物になってしまう気がします。理想論かもしれないけど、性と金を結びつけないでほしい。
その時、「何が善きこと」なのか、それを計るモノサシさえ失われてしまったいま、我々は何をどうすりゃいいのか。ここで私はそういう話しを書いているつもりです。
現代では善悪の基準が複雑化・曖昧化したりするということはあります。しかしそれは、何でもありということではありません。特に、面白ければ何でもありでいい、というわけではないでしょう。
他の方々へ、一足早い「いーちぬけた!」です!
賢明な判断だと思います。
欠けた部分
ululunさんへの風当たりを強めるということで、id:hashigotanさんには、「余計な説教してウザイ」「ネタにマジレスしてキモイ」などと嫌われてしまったかもしれません。ただ、「出会い系の犯罪が多いですから〜」とありましたし、心配したので面識もないのに、大きなお世話をしてしまいました。
ブログが非表示になる前に、開いておいたブラウザのタブに、かろうじて残っているので、その部分だけhashigotanさんのブログを読んだのですが、とても共感しました。
(…)コンビニは孤独な人が多いから好きだ。子供の泣き声は滅多にしない。スーパーに行くと主婦が子供を叱る声が充満している。ガミガミうるさい声を聞いていると、まるで私が説教されてる気分だ。だから独身者がスーパーに行く時間は夜が多い。
(…)私は少し離れた場所で、コンビニで買ったパンとジュースを一人寂しく無言で食し、そして聴きたくもない子連れの主婦たちの愚痴や子供の声に心の中が空っぽになるのを感じながら…、食べ終わった後はその場を静かに去るだけである。
(…)数ヶ月前に私は手術をして、その後も体のメンテナンスの為に何度か列車で県外に旅に出た。旅先で海の見える場所でサンドイッチを食べようと座れる場所を探していると、すでに先客が居た。
若い男女が、目の前でぴったりと寄り添って海を見ていたのだ。私はその場を去るしかなかった。コンビニの白い袋にサンドイッチとコーヒーを入れたまま、一人でとぼとぼと海沿いを歩いていた。
海を見ながら食べるのは諦めて公園に向かうことにした。するとその途中で今度は、赤子のカートを挟んで歩く若い夫婦が目の前に居るのだ。
私はこんなに努力してもまだ一度も恋愛も出来ないのに、何でこの人たちはこんなに…… 神様なんて居るのかなって、すごく悲しかった。(…)
http://blog.goo.ne.jp/funamushi2
原文はもう少し過激で、そこまでではないのですが、私も似たような感覚に襲われることがあります。世の中から自分一人だけ取り残されているのではないか、他の人はみんな楽しく生きているのではないか、そういう普通の人がうらやましい…という疎外感です。そうした負い目はたいてい対人関係に悪影響を及ぼします。
しかし、他人が不幸になればその分自分が幸福になる、というわけでもないでしょうから、私の分まで幸福になるよう、他の人をなるべく祝福したいとは思っています。蜘蛛の糸ではないですが、糸が切れる心配をする必要はなかった。ただそれは単に、地獄の底に叩き落とされるような、本当に辛い目に遭わされていないから、甘っちょろいことが言えるのかもしれません。
ところで、普通の人なら当たり前とされる何かが欠けていると、それだけで責められてしまうことが、現実にあります。すると視線や声が気になるようになります。なぜ人の視線や声が、不快なのに気になって逃れられないのかというと、心の欠けた部分に侵入するからです。満ち足りている人なら隙がない。しかも、それが自己イメージを構成する一部分になってしまうと、容易に外せません。
視線というのは、直接見られるだけでなく、ネット上のやり取りでも同じことです。でも仮想空間では欠けた物が一時的にしか埋まらないので、視線を欲する人はテキストを書くのが止められなくなります。そうした仮の自己イメージに依存しなくても、心の隙間が埋まるには、外部から支えてくれる人が必要でしょう。でも、誰にでもそうした人がいるわけではありません。
嫌われるようなことを言っておいて今さらなんですが、ブログを読んでhashigotanさんと友達になりたい(もちろん、性的な意味ではなく)と思いました。しかし、オフとは別にメールがたくさん集まっているということですし、その中にはイケメンやモテメンがいるかもしれない。すれ違いで残念…というより悲しいですが、もう非モテの「単なるお友達」は必要ないでしょう。
hashigotanさんの幸せを祈っています。