Twitterの魅力はゼリー状コミュニケーション

精読と速読

日経デジタルコアの「仮想世界はIT時代閉塞の現状を打破できるか?」というパネルディスカッション中に Twitter について言及したところ、Twitter 上で、livedoor reader 開発者の mala 氏に突如として DIS られたのだ。
「@lalha は32人しか follow してないのに twitter の何を語ってんだ。」

そのディスカッションのチャットの方にいたので、リアルタイムでそのやり取りを拝見していた。速読・精読(followの多い少ない)でアカウントを分けるのも、id:fromdusktildawn氏らを参考にして既にやっていた。

しかし、follow数が増えれば増えるほど面白い、とは個人的に実感しておらず、別に「32人しかfollowしてない」から語るな、とは全く思わなかった。実は一番面白いところは別のところに感じている。量の問題より質の問題だと考えている。どういうことか。

公的空間と私的空間

Twitterクラスタの形成が一番面白い。それは広い場所で雑踏の流れを全体的に眺めている状態から、広場の中で少人数の会話に注目する状態への移行だ。これは、最初から少人数しかいない場合とでは圧迫・開放感が違う。

公的空間の中で私的空間を展開するのは快楽である。何かと言うと例えば、授業中や仕事中にこっそり、私語を話したり手紙を回したりメールするのは非常に楽しいだろうが、ではいざ、プライベートに二人っきりで話すと、窮屈な感じがしてそれほどでもない、というようなことだ。

Twitterはコミュ粘度が変化する

ブログは2chとmixiの中間、はてなはややmixiより - 萌え理論Blog

Twitterの新味はどこにあったのか、まず既存のサービスを位置付けてみよう。2chのような掲示板は名無しで書けるので粘度が低く、mixiのようなSNSだと読者まで特定されるので粘度が高く、ブログはその中間位だと捉えている(上記参照)。

そして、Twitterの斬新さはコミュニケーションの文脈の流動性にあると考える。どういうことか。Twitter掲示板やチャットのように使えながら、ミニブログのように一人でも書けるし、SNS的に特定の人物と「@」で会話できる。

そのように使い方に幅があって、ゼリーが固まったり溶けたりするように、状態を融通無碍に移行できるのが、私が感じるTwitterの魅力なのだ。

Twitterをとろけるゼリーとして味わう

だから、精読と速読に分けるのは現実的な対応だし、そもそも、「Twit」が九月末のバージョンアップでお気に入りID機能が付加されたから、それを導入しさえすれば精読と速読に分ける必要もなくなる。

しかし、ある意味贅沢な話なのだが、「followを増やす」「精読と速読を分ける」だけでなく、その場その場の話題でつながる流動的なクラスタこそが欲しい。つまり、森と木を分けることは便宜的なもので、森の中に木を見つけるのが面白いのだ。

ところが、followが増えて来るに従って飽和していて、実は自分で言うほど面白い面白いという程でもない。例えば、学生が新学期が始まってしばらくは流動的だが、すぐに仲良しグループに固まってしまう、といった現象と同じかもしれない。

だから、まだよく分からない微妙なところがあるのだけれど、Twitterをとろけるゼリーとして味わいたいと思っていて、このゼリー性がどうすれば再現できるのか、Twitter以外でも実現するのか、色々考えている。

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