「なんかいいよね」は禁止すべきか?

インプット/アウトプット

「なんかいいよね」の一言で済ませられたら、これほど楽なことはない。

でも、何でもかんでも「なんかいいよね」としか言えない人間には、
「作り手の方程式」はわからない。

このブログで理由なく「なんかいい」という結論を出すことはまずない。だから、出力時に「なんかいいよね」という表現を避けることは、元記事の言う通りだと思うが、入力時に「なんかいいよね」という感受性を禁止する必要はないとも思う。

入力の段階でフィルタを掛けて制限してしまうと受け取るものが貧しくなる。そのうえ出力を膨らますと、薄っぺらいものになってしまう。むしろ、めいっぱい入力して、出力の段階で禁欲すべきだ。画像でも拡大より縮小の方が荒れないだろうが、それが凝縮するということである。

作品に接する量が多くなるとパターンを覚えるので、作品をよく見ないで型にはめて門前払いすることもできるようになる。それでも、本当に話にならないダメなものの足切りにはなるかもしれないが、同時に、創作・批評のマンネリ化の原因にもなるだろう。

「なんかいいよね」を大事にしても構わない。それどころか、最終的に結論を出すギリギリ一歩前までは、常に「なんかいい」という漠然とした感覚を失ってはいけないと思う。どんなジャンルでも、ルーチンで処理できるようになる水準に達するだけでも難しいので、これは贅沢な話ではあるのだが、「本物」はルーチンだけでは生まれない。