人に厳しく組織に甘く

「人一人死んだくらいで」

相撲協会「国技はく奪」突きつけられた - 大相撲ニュース : nikkansports.com

大相撲時津風部屋序ノ口力士、時太山(当時17=本名・斉藤俊さん)が兄弟子らから暴行されて死亡した問題を受け、文部科学省は28日、日本相撲協会北の湖理事長(元横綱)を呼び出し、問題についての独自調査、関係者の処分、再発防止策の検討など5項目の改善要求を突き付けた。協会の対処が甘いと判断した場合、監督官庁の同省が認める財団法人の資格も取り消す構えだ。国から見放された場合、大相撲は「国技」の看板を失うことから、協会側も対応策を検討し始めた。

lsty 神事に関わる人は「人一人死んだくらいで」と思うだろう(滅茶苦茶&不謹慎だけど)実際、日本国内の「祭り」では毎年何人も人が死んでるんでしょう。「伝統」と「人一人の死」との天秤って、どうなってゆくんだろう。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.nikkansports.com/sports/sumo/p-sp-tp3-20070929-262904.html

id:lsty氏のコメントにid:r-west id:REV id:citron_908 id:another id:yuuboku id:QuietLife id:LaughSoulzDream 氏らのはてなスターがついている*1。だから潜在的に支持されているかもしれないので書いておく。

祭りの死者というのは事故死だろう。だいたい金属バットを置くのが相撲部屋の伝統なのか。竹刀と金属バットは違うし、稽古と暴行は違う。そこを曖昧化してしまったらいけないと思う。暴行の痕跡を火葬で隠蔽しようって、オウムじゃないんだから。遺骨になって帰ってきたって、戦時中や北朝鮮じゃないんだから。それに、今回だけでなく過去に事故死で処理していた類似例があったら、「人一人死んだくらいで」とすら言えなくなる。

逆に、もし伝統だから構わないとした場合、国技の地位は安泰なのだろうか。「あー、事故死で処理されちゃうし、国も甘めに見るのか」となれば、今回の事件で親が相撲部屋に入れたくなくなるから、結果的に国技の看板を抱えたまま衰退していくということも考えられるだろう。だから、相撲や伝統を否定しているのではなくて、暴行や犯罪を否定している。

だいたい、相撲協会朝青龍がサッカーをしてたときはさんざん叩いて、協会批判者からは取材証を没収していたのに、相撲は伝統だから「人一人死んだくらいで」は「かわいがり」で多目に見て欲しい、「国技剥奪」(の可能性)は勘弁して欲しいというのでは、釣り合いが取れていない気がする。

少し飛躍するが、戸塚ヨットスクールが事件を起こしたときも一部に援護の声があった。もしそこら辺を歩いているおっさんが子供に声を掛ければ、今時ならそれだけで「不審者」として警察に通報するだろう。それなのに「教育者」の体罰なら良い、というバランスはおかしい。要するに、人に厳しく組織に甘いのではないか。

*1:記事執筆時点