ツンデレが悪女?

恋愛とアルコール

ロリコンファル - 狂気ではない情熱恋愛は存在するか −愛のタナトス−

情熱恋愛が劇的な物語の最大の主題の一つとしてあるのは、まさにその危険性がゆえなのでしょうね…。
情熱恋愛とは、主体を欠落させて自己を空虚化、無化していく側面があり、タナトスの情動、死の快楽と結びついているのだと思いますね…。
昨今流行のヤンデレも、狂気と死と愛が、融合した情動となっておりますね…。

物語ではみんなどこか、安らぎみたいな、息抜きや恋愛以外の場も取り入れて、情熱恋愛を、情熱恋愛100%にはしない。ラヴコメディのコメディの部分を考えると分かり易いです。逆に、情熱恋愛100%にすると、だいたい悲劇の物語になるところがありますね…。

それは、酔う=理性を失うという点では、恋愛はアルコールのようなもので、ラブコメは薄いから呑みやすいけれども、100%だと中毒を起こしてしまうということですね。薬と毒は紙一重。「酒に呑まれてしまう」ように、「恋は病」「恋は盲目」の状態がネガティブに作用するのが、古来の悲劇だし、最近のヤンデレでしょう。だから、ツンデレヤンデレは異端の流行に見えて、伝統へ回帰している側面を持ちます。

ツンデレが悪女?

切込隊長BLOG(ブログ): ツンデレって、ようは悪女のことだろ

 ヲタが持ち上げ様式美となってるツンデレってのは、女との経験が乏しく脳内世界観で完結した経験の浅い読者が女性描写を満足にできず不当に持ち上げられているだけのものだ、ってことでありまして。

 ただし、私が言いたいのはヲタというのは欠けている表現や不充分な記述を脳内妄想で補完しながら自分の好みや都合の良いように修正しながら登場人物や世界観にのめり込んで逝く性質が強い。ちょうど、えんぴつ書きのラフ画は見る人全てが一番都合の良いラインで評価してしまうため、仕上がりや塗りを見て「なんだこりゃ」になるのとほぼ同様のことではないかと。

切込隊長の「ツンデレって、ようは悪女」というのを見て「なんだこりゃ」と思います。「悪女」は「ルパン三世」の峰不二子が典型的イメージでしょうが、男を性的魅力で誘惑する倒錯的な女性です。しかし、「ツンデレ」は全くそうではない。むしろヒステリー的な行動を取ります。自分や相手の欲望が分かっているのが悪女で、分からないあるいは否定するのがツンデレです。この否定が肯定に変わるのが、ツンがデレに変わるときです。

切込はまた、ツンデレが「女との経験が乏しく脳内世界観で完結した経験の浅い読者が女性描写を満足にできず不当に持ち上げられているだけのもの」だとします。ありふれた論点ですが、しかしこれも実は違います。もちろん、虚構の表現が現実にそのままあてはまるわけではない。しかし、精神的現実を抽象化している部分においては、単なる自己満足の様式美だけではありません。どういうことか。

例えば、真空中であれば鉄球も羽も同じ速度で落ちます。その場面を日常で見ることはないにも関わらず、脳内世界観というわけではない。それは条件が異なる別の現実です。そして、ツンデレというのは、思っていることを素直に伝えられないだとか、そういう精神的現実の作用を抽象した表現です。だから、虚構でお約束で脳内補完、という面もあるけれど、シミュレーションしている側面もある。切込の通俗的視点ではそれを見落としてしまうのです。