「こなたは俺の嫁」問題

こなたは嫁・分身・娘か

前置きとして、個々の視聴者がどのように感情移入しても勝手だとは思うが、最大公約数的にそのように見ているだろうか、という問いは立てられる。そこで、上の記事のような視線で、視聴者はこなたを見ているかと想像してみると、微妙な違和感を覚える。

こなたを「嫁」にしたいというのはどうか*1。まず、こなた以外もみんな女子高生だから、所帯じみた実感は沸かないし、こなたは生活よりオタクを優先させるので、共同生活に問題がありそうだ。だから、(NaokiTakahashi氏の趣味とは別に、平均的な視線は)まだしも恋人くらいではないだろうか。

こなたを「娘」にしたいというのはどうか。これは単純に、らきすたにおいてはキモめの登場人物そうじろうに感情移入しにくいだろう。確かに視聴者とこなたの年齢は一回り二回りも離れているかもしれないが、(p_shirokuma氏本人もそう思っていなかったし)多くの視聴者はそう思いたくないだろう。

こなた分身説と代理説

こなたが視聴者(オタク)の分身だというのはどうか。これはそうじろうより移入しやすい。それにそもそも主人公は読者の分身みたいなものだろう。しかし、女装的・同性愛的な要素があるため、一般的になりにくいのではないか(p_shirokuma氏の記事は提案に近いので、一般的である必要はないかもしれないが)。

視聴者→こなたの分身説だと、こなたへの性転換的視点、こなたとかがみたちの同性愛的関係(こなた視点)、こなたと男キャラとの同性愛的関係(視聴者視点)、が立ち現れる。特に最後の要素は、本編でもこなたが男との恋愛を望む場面があったが、明らかに萌えには邪魔で、この視点では爆発的な人気が出ないだろう。

ここで、こなたは視聴者の分身ではなく、代理ではないかと考える。どう違うのか。分身はイコールの関係だが、代理はそうではない。そして、こなたがオタク的な振る舞いを望むことで、視聴者の欲望が満たされる。これは例えば、自分がゲーム機を所有しているときに、他人にそのゲーム機を欲しがったり羨ましがったりされると、何となく嬉しいという心理のことだ。

つまり、ここでの意味としては、分身は自身の分身だが、代理は他者が代理する、という違いがある。そして後者の場合、オタク趣味は一人だけではない、という連帯感のようなものが生まれる。これがニコニコのような多人数視聴に合うし、こなたが欲しがることで角川系作品の宣伝効果もあるだろう。

妹以上恋人未満

だが、「代理」では抽象的過ぎる。もう少し具体的な言葉に落とすと、「妹」という存在が近いかもしれない。目線は嫁だと対等だし、娘だと上からだし、分身だと一致してしまう。だから妹くらいの斜めの視線が丁度良い。それに嫁と違って、女性も感情移入できる。もちろん、「こなたは俺の妹」という声は少ないだろうが、無意識的にそれくらいの位置にあるだろうという仮説*2だ。

ただ、恋愛的要素は欲しいだろうから、更に細かく限定すると、「友達以上恋人未満」のような「妹以上恋人未満」くらいが、こなたが視聴者から見られている視線だろうか。まあ一般的な萌え美少女の位置付けもそんなところだが。ここで、それなら単にこなたと「友達以上恋人未満」でも良いのではないか、と思うかもしれない。しかし友達より妹を押したい。それは、らき☆すたが、例えば「あずまんが」と異なり、家族と世代を描いているからなのである。

*1:もちろん「○○は俺の嫁」がフレーズとしては一番多いが、実際にはそれで表現する好意の中身は様々だろう

*2:アンケートを採った方が早いと思うかもしれない。ただそのときに、「○○は俺の嫁」というイディオムでバイアスが掛かるだろう。また(ただしセックスは可)を付ければ、イトコでも何でも差が縮まる気がする。設問の誘導もあるだろう