現代のラスボスとラブコメに共通する問題
環境型敵役と属性型恋役
この仙水の論理(人間の根底的邪悪さの問題)に対して、幽助は仙水に、「オレはてめーが嫌いだ」と返すわけですよ。位相をずらしているんですね。
全く仰る通りですね。仙水は人間全体と戦っているが、幽助は仙水個人と戦っています*1。冨樫は「幽遊白書」の後半から作風が変化しました。「レベルE」ではシステム的・ゲーム的な面を意識しており、例えば「RPGツクール」的世界観を導入しています。このゲーム的駆け引きの要素は、「HUNTER×HUNTER」にも継承されていきます。
そして実は、全く違うジャンルの萌えラブコメにも、そのような構造が見られます。どういうことか。萌えキャラはメイド服だとか、そういう萌え要素によって命脈を保っています。だから、萌えラブコメ(例えば「ラブひな」)の主人公は、さしあたり誰彼かまわず欲情する浮気者=読者の分身、として描かれます。
言ってみれば、主人公は可愛い女の子全体が好きなのですが、しかしそれに対してツンデレ・ヒロインは、「あんたなんか大っ嫌い!(オレはてめーが嫌いだ)」と位相をずらしています。そして、バトルものでは拳を交える中でライバルに友情の心が芽生えたりするのと似ていて、主人公はツンデレ・ヒロインにどつき回されている内に、なぜか恋慕の情が芽生えてきます。
多くのラブコメが、主人公と(メイン)ヒロインが結ばれるという、基本的過ぎてもはや約束事と意識されないような、お約束*2に頼っています。「ラブひな」でも成瀬川と景太郎が互いに好きになる理由はやはり薄弱です*3。しかもここで、超越化に頼ります。物語の後半で景太郎は(努力の過程が弱いまま)何となく超人化します。
ラスボスが主人公側、さらに読者に提示する問題が、ストーリー内で解決できない(または解決すると嘘臭くなってしまう)ように、ヒロインが主人公、さらに読者に提示する問題も、ストーリー内で解決できない(または解決の仕方が嘘臭くなってしまう)、という問題を抱えています。この難問には、決まった解決策はないでしょう。