卑語エロゲと弾幕シューティング

ロリコンファル - エロゲの性愛の魅惑について −生と、エロゲと、笑いと。−

欲望の先送りの論理

まず、一般的に考えられる希望とは資本主義的な希望、未来のために努力する希望です。
(…)
ニーチェの唱えるディオニュソス的な希望というのは、(…)一般的な希望とベクトルが逆です。希望がないことが、生の甦りになる逆説。希望がないゆえに、今、瞬間の陶酔が現れてきます。
(…)
「進歩する明日」というのは、アポロン的な幻想、真善美の幻想なんですよ。実際にはないものを目標として今を犠牲にする形而上学です。

仰るとおりだと思います。それは、ミヒャエル・エンデ『モモ』に出てくる「時間泥棒」の話ですね。未来のために現在を犠牲にして欲望を先送りにする論理。そこから、田中ロミオ人類は衰退しました』のように、未来の破綻が明確に見えてしまうことによって、もう時間を貯蓄する動機がなくなる、という裏返しの話につながると。現在の日本にも当てはまりますね。*1

卑語エロゲと弾幕シューティング

私は、エロいエロゲは動的な芸術の見事な一つであると思っている。なぜならば、エロいエロゲはセックスを描くからです。セックスというのは、今そこにある肉体性が関与してくる、まさに一回性の交わり、瞬間現れるものなわけです。面白いのは、セックスの表現においては、間取りの広さと複雑性が両立する、稀有な要素がある。これは芸術において、圧倒的なアドバンテージとしてある。これは、他の表現ではなかなか見られないことなのです。

うーん…これは微妙なところですね。どちらかというと、よく言われるように、エロゲは間口が狭いのではないかと思います。確かに、陵辱エロゲの卑語にディオニュソス的解放を見出す視点は鋭いですが、それはkagamiさんが屈指のエロゲーマだから見えるものであって、一般の人に広く受け入れられるかどうかは、別の問題だと思います。高齢層に支持されているというのも、エロゲ(あるいは他のエロメディア)をやり込んで、刺激が足りなくなった層が求めている、とも考えられるでしょう。

性的な表現が普遍性を獲得する可能性を持っている、というのは全く同意しますが、それが実際にはマニアックになりがちな面もまたあります。先鋭化と袋小路は隣り合わせの諸刃の剣で、ディオニュソス的だから誰でも楽しめるとは限りません。音楽の動性の話がありましたが、クラシック*2を何時間も聴くには、それなりの素養がいると思いますが、エロゲを何時間〜何十時間もプレイするのも、素養が必要になっていると思います。音感に比して言えば、淫感とでも言いましょうか。ヘビーユーザは耳が良いから、過激な卑語を楽しめるけど、淫痴な耳だと楽しめないという。

エロゲの卑語とシューティングの弾幕に共通する構造があるように思います。というのは、現代シューティングは弾幕の量が画面を埋め尽くすくらい増えたことで、プレイヤーの新規参入が難しくなりました。当たり判定が小さいから意外と簡単、とはいうものの、それはやはり、弾を避けるのが息をするくらい自然になっているゲーマの視点でしょう。呼吸が分からないとすぐやられてしまう、というのは格闘ゲームのコンボ長大化も似ています*3

もっと日常の喩えを使うと、激辛な食べ物(エロイエロゲ)をヘビーユーザに合わせてどんどん辛くしていくと、普通の人が食べられなくなる、というのと同じなのではないでしょうか。どんどん先鋭化していくと、ピラミッドの先が尖って伸びていく代わりに、裾野が狭くなっていくという、どのジャンルにも見られる現象です。もちろん、甘い食べ物(萌える萌えゲ)を甘くし過ぎても同じですが、少なくとも今のところは、エロゲの売上を見ると、甘めの味付けが好まれているようです。

…とエロゲ業界の行き先を憂いてみましたが、話は変わって、LILITH作品は良いと思います。最初リリスはニッチなところから始まりましたが、最近は低価格帯のホープになっています。ボリュームが大きすぎず手軽に遊べて、それでいてエロはつゆだく大盛りという、ユーザが求めているモノを上手く掴んでいる感じです。LILITHは私もオススメですね。

言及作品

*1:反復囚人のジレンマゲームにおいて、無限回から有限回に移行した(終わりの回数がはっきりした)途端、互いの協調が成立しない、という話と、欲望の先送りの話には共通する構造があるかもしれない。が、ややラフでアバウトな話なので注に回した

*2:エロゲとの対比で言えば、テクノやトランスの方が近いかもしれない。卑語の過激な変形はエフェクトだと捉えれば対応する

*3:ただし、格闘がSTGほどマイナーにならないのは、一つは2Dから3Dへの移行が出来て、グラフィックの進化を生かせることと、人間のキャラクターを使えることの相乗効果があると思われる。生身系STGも萌えキャラを使っているが、格闘ほど自然な表現はできない