純愛エロゲと静止アニメ

純愛エロゲと静止アニメ

ロリコンファル - エロゲをエロくするために! −エロゲライターさんとエロス論−

動的なものを排除して静的な美を求めようとする傾向

その傾向は、純愛系エロゲだけではなくて、止め絵に美を見出すアニメにも、共通しています。更に、静的化は他のジャンルにも見られますので、書き並べてみましょう。

純愛が目的のエロゲはエロを排したエロゲ*1ですが、止め絵が目的のアニメは、ある意味では動かない動画を目指すわけです。マンガ(コマを並べた絵)でも、タチキリやぶちぬきで、コマの流れを無化して、キャラを横断させます。萌えフィギュアや3DCGのトゥーンシェード(アイマスとか)は、三次元上で、二次元っぽく見せます。

ジャンルの目的と矛盾し、ジャンル自体を解体する傾向は、萌え系のオタク文化に顕著に見られます。しかし、ジャンルに対して自己否定的であっても、それは退行ではなく、むしろ弁証法的な進化でもあります。

静的指向と動的指向

静的指向と動的指向、あるいは空間指向と時間指向という、表現の両極は、どちらかが本質でもう一方はいらない、と言いたいわけではなくて、むしろ車の両輪のように、両方あるのが自然だと思います。それを踏まえた上で、最近のメディアではその勢力図が変わってきています。メディアミックスで、アニメやゲームといった境界は横断していく一方で、消費のスパンは短くなっていく傾向があります。

マンガの長期連載や、ゲームの重厚長大化もあります。これについては、確かに鑑賞時間は長くなりましたが、動的な面が弱いところがあります。例えば、ゲームのムービーが長くなって、プレイヤーが操作できないのは、ゲームにおいては静的な事態だと捉えています。あるいは四コマのように、連載の量が多くて期間が長くても、日常を繰り返すタイプの物語は、どちらかといえば静的だと考えています。

二次創作とデータベース

動的指向がなくなってしまうとは考えていません。例えば、二次創作のような生成装置は、最近なら動画サイトだとか、年々領域が拡大していきます。しかし、それは生成の契機ではありますが、ここでも量産されれば動的だ、とはなりません。例えばハンコ絵のように、データベースに回収されてしまうかもしれないでしょう。

静的と動的の違いというのは、量や数の大小は全く関係なくて、あらかじめ約束された図式に還元されるかどうか、ということです。動画サイトが一見してカオスのように見えても、「Aは大変なBをCしていきました」のように、パターンになってしまえば、予定調和を感じます。

*1:実際、泣きゲのHシーンは量的にも少ない