エロゲのスタティックな回想とダイナミックな選択

ロリコンファル - 犠牲者にして支配者たるもの エロゲにおけるエロスのダイナミズム

スタティックな支配服従の構造(安直な超越化)に頼るエロゲ作品とは、一線を画していて(…)
スタティックな構造論では、エロティシズムは捉えられない(…)

勿論、エロゲに限らず、優れたポルノには、こういったダイナミズムがありますね。

私は、エロゲのスタティックな側面を突き詰めると、コンプリート後のCG・回想画面になると考えています。そこでは、ゲーム中のシーンが文字通りデータベース化されていて、好みの場面を再生できるわけです。しかし、コンプリート(ゲームのクリア=超越化)の安心感・満足感と引き替えに、急き立てられるような性的興奮は失われます。つまりある種の不感症になります。また、コンプ目的で攻略を頼りにバンバンスキップする、作業的なゲームのプレイも、似たようなところがあります。「ゲームはインタラクティブ」というのは、ここではお題目と化しています。

対してゲーム中では、わずかな画像や言葉の変化にエロスを感じます。単純にエロの情報量自体はコンプしたCG回想の方が多いけれど、ダイナミックな変化にエロスが宿るわけです。これは、ポルノに見慣れると、裸自体より脱ぐ行為の方に注目するようになることとも、関係があるでしょう。データベース化したパターンは飽きますが、パターンの組合せ、それも生きた組合せには飽きません。生きた組合せは、アニメーションのように、生の躍動と持続した時間を持ちます。アニメをセルに分解しても、エロゲを回想に分解しても、データベースに還元し尽くせません。そして、その余剰に、ダイナミックなエロゲのエロスが宿るのです。

秋華さんの作品って、男性が女性を支配するというよりも、ダイナミックに関係性がバッと変わったりするんですね。

関係性のダイナミクスに話を戻すと、公的領域から私的領域、モラリストからマゾヒストへの変化に、精神的なエロスがあるわけです。しかしこれは、カントとサド(モラリズムとサディズム)を両立させて読むようなことですから、ありがちなパターンのように思えて、実は大変難しい。関係の変化という発想は男性に欠けており、モノ化・オブジェ化によって、静的に所有して終わり、というシナリオを多く見掛けます。ただ、これはシナリオライターだけの問題ではなく、ユーザ側の事情もあるかもしれません。というのは、エロゲは男性が消費するモノなので、期待した展開を外れるとブーイングが起こり*1、保守的になる面があります。

そして、エロゲのダイナミクス、あるいはノベルゲームというメディアを活かすのは、選択肢にあると考えています。もし純粋にCGだけ欲しいなら、ゲームではなくてCG集でもいいわけでしょう。つまり、ノベルゲームの回想と選択の機能は、エロゲのスタティックな面とダイナミックな面を、それぞれ代表しているわけです。だから、エロゲをプレイしていると、つまらない選択肢によく出くわしますが、もう少し工夫が欲しくなります。例えば、妹が起こしに来て「今すぐ起きる」と「五分後に起きる」を選ぶとか。それよりも、ただ真っ暗な画面でも手に汗握り、回想を上回るような選択の場面が欲しいわけです。

エロゲ・ギャルゲ(ノベルゲーム)は、カメラ位置やテキストの文体は、映画や小説に比べればあまり自由になりませんが、その代わり選択肢という手段があります。そしてそれが、シナリオにおけるダイナミックな変化と結びつくことで、豊かな世界を描けるのだと、私は思います。

*1:ヒロインが実は非処女、実は美少年、浮気する、など色々あるでしょう