東京都知事選から考える―格差・民主制・インターネット

格差

上記では大雑把に、1.高い世代の投票率は高い。だから、民主制の多数決の原則から言えば、「老人向けの政策」になるのはおかしくない。 2.だが定年退職した世代はともかく、若い世代は忙しいので、投票に行くインセンティブが低い。 というような話になっている。ではどうすれば、時代遅れでないような政策を可能にするのか。それはインターネットだと私は考える。

民主制

「特定の候補者の映像だけが流れているのが、公正・平等な選挙という観点から問題」

特定の候補者だけではなくて、候補者の映像は誰でも見れるようにすれば、公正・平等な選挙活動になるのではないだろうか。そもそもYouTubeには誰でもアップロードできる。電子上の映像だから公正で平等ではなく、紙のポスターだから公正で平等なわけではない。そもそも、ポスターだって人員や資金を確保できない候補者は貼れない。現実のポスター掲示板でも、特定の候補者だけが貼ってあるだろう。

インターネット

しかし、インターネットによってコストが減っても、泡沫候補が浮上するだけで政治が良くなるとは限らない、という批判がありうるだろう。たくさん候補者が出れば良いとは考えていない。ここで投票者からの視点で見てみよう。そもそも、今回YouTubeでネタとはいえ、反響を呼んだのは、民主制・投票制そのものへの懐疑を表明したからだ。だが代理制からの疎外というような観点での研究は既にある。

例えば、大澤真幸が「代議制のパラドックス」を述べている(参照した書籍は最後の「関連」で示した)。民主制の代表者では誰も自分を代理してくれていないと感じる有権者が増えてくると、その代理不可能性を代理する代表者が支持される可能性が出てくるという。「選挙なんか無意味だ」というと共感される構造を予見しているようだ。もちろん、それ位で泡沫候補が当選することはないだろう。だが、もしその代表者がTVタレントで、その表明がメディアを通して行われれば、引っくり返る余地は十分あるのではないか。

東京都知事選から考える

だがそもそも、インターネットで選挙をするという発想が、根底のところで従来の民主制に囚われている。そもそも間接民主制を採用するのは物理的なコストの問題だから、ネットで選挙をしよう、ではなくて、そもそも別の環境を作ればよいではないか。極端に言えば、誰が当選しても日本は変わらない。システムでしか変わらない。とすれば、インターネットによる直接民主制の可能性を考えたい。

直接民主制というと、それはポピュリズムになるという反論が必ずある。だが衆愚政治に陥らない方法があるのではないかと考える。例えば、納税と選挙を直結するという方法がありうる。この「納税時投票方式」による直接民主制の発想は以前から考えている。

さしあたり、自分が払った分の税金に対して、使い道を投票するだけの簡潔なものだ。そこでは、選挙区や党ではなく、職業の分野に対して投票するため、関心も知識もあるだろう。納税=選挙なので、投票率は納税者に対して100%になる。事務的には集計が大変だろうが、そこは電子化することで省力化できればよいというわけだ。非人称的な官僚制に対抗するには、非人称的な民主制に変わる必要がある。