エロゲを買わせる力と同人を買わせる力

魔王14歳の幸福な電波 - 同人商品とフリーゲームの間に横たわる「商品っぽさ」の壁

商品作品には絵の上手さとかユーザビリティとかとはまた別の「商品っぽい雰囲気」というのが多分あって、ほとんどの同人ゲームすらその方向性を帯びているんですけれど、それに無頓着なフリーゲームは生理的に敬遠されてしまってるような印象。

エロゲを買わせる力

日常的な欲求を満たす使用価値が主目的の商品には、「商品っぽい雰囲気」は必須ではない。例えば、食料品など日用品は、あまりパッケージが重要にならない。ディスカウントストアや無人市場などを考えれば分かる。

一方、人間的な欲望を満たすための消費社会の記号的な側面がある商品には、「商品っぽい雰囲気」が必要になる。そこでは、物が欲しいというニーズが先にあるのではなく、売っている物を見て欲しくなるという風に転倒することがある。需要の創造である。

ではエロゲはどうだろうか。エロゲは「商品っぽい雰囲気」が非常に重要である。まず、商業流通に載っていることで同人とは区別される。ショップで売られ、またPCゲーム雑誌に広告や体験版を載せる。また、(中小零細が多いとはいえ)法人が開発・販売している。

もう少し消費者の視点で見ると、エロゲショップで、無意味にでかい箱を平積みされて売られている。デモムービーがモニタで流される。販促にテレカなどがつく。限定版でフィギュアがつく。メーカが有名ブランドだ。制作陣に有名なライターや原画家や声優がいる。CGは何百枚もあって、シナリオは何メガもあって、全編フルボイス。

これらは一般的な同人で満たすのは厳しいものがあるが、中でも分かりやすいのは、エロゲはエロゲ塗りであることが多いということだ。逆に言うと、同人ゲームでもエロゲ塗りをすれば「商品っぽい雰囲気」が出て、販売で利益を狙えるようになる。

グラデーションを多用するエロゲ塗りは、それなりの技術と手間を要求されるので、簡単に実現できない。同人誌の表紙など一部だけならともかく、何百枚も描くのは大変だ。給料を出して何ヶ月か拘束できるだけの基盤が必要になる。

近年NScripter吉里吉里でかなり敷居が下がったが、プログラムも基本的に同じだし、(男性向け同人は男が作ることが多いので)制作者一人ではボイスをまかなえない。OPムービーだとか、他の部分もやはり同様だ。

同人を買わせる(フリゲを買わせる)力

ここまでは、高いエロゲを買わせる希少性はどこから生じるか、という考察だった。しかしでは、それらの要素がなく、有名サークルでもないところが、同人ゲームを買わせる、またはフリゲを遊ばせるには、どうすればよいか。

まず、ふつうは商業と同じものを作るのは無理だろう。それは、ワナビだからできないということではなくて(あるいはあるかもしれないが)、単にインフラが不足しているのである。ではスケールを小さくして縮小再生産するのはどうか。その手はある。ただ、スケール(デ)メリットによってコストパフォーマンスが低くなるので、同じ基準で比較されると厳しい。

ここでは、商業「だから」できないことに注目する。商業的な制約を受けないものを作れば、希少価値を生じさせるのは可能だ。

ここでは、プロとアマというよくある二項対立的発想ではなくて、条件は違うが全く同じ現実だと捉える。それはちょうど、小さいスケールだから昆虫のようなユニークな形態が物理的に可能だというようなことかもしれない。小さいから間違っているということはない。作品の大小と高低は別である。

それでは同人だから可能なものとはどんなものだろうか。まず最初に成人向け二次創作が思い浮かぶ。これは商業ではできない。これは同人市場を見れば分かり切っていることだが、可能性を全部見るために手順を踏んで見ていく。

次に粒度を変えるのはどうか。小さいものとしては、FLASHで三分で遊べるゲームなどは、需要はあるが採算を取るのが難しいので、やはりフリゲが多い(携帯の課金アプリは少し別)。大きいものとしては、極端に例が少なくなるが、何年間も掛かって作るものは、生活のためにやるプロには逆にできない芸当だ。

ニッチなジャンルというのもある。同人誌即売会には、断面図オンリーだとか、たすきがけにかけたバッグの隙間から覗く乳房だとか、極端にニッチなジャンルも、同人ならではだ。

しかし、もっと作品の表現と密接に関係しているような方法はないか。それはある。例えば、日本のリミテッドアニメが独特に洗練されているというような、制限を利点に変える手法だ。あるいは、矩形波三角波を使っていたころのゲームサウンドとか、ドット絵のジャギとか、処理落ちすることで弾幕を避けられるとか、制約が逆に独自の表現を産むことがある。

ひぐらしバイオハザードの意外な共通点

最近の(最近でなくても)同人界最大のヒット作は「ひぐらしのなく頃に」だろう。(月姫もそうだが)ひぐらしは特に絵が商業的に流麗でないことが指摘される。だが、いったんプレイしてみると、むしろ323絵のような洗練された絵ではかえってダメな気がしてくる。本当にそうかは分からないが、少なくともそう感じさせるだけの必然性はある。

例えば、全く対照的な作品として、かなり前の作品だが、「ダブルキャスト」がある。これもなかなか黒いヒロインだが、ひぐらしほどは怖くない。当時としては技術力が高く、キャラデザが後藤圭二で絵柄も洗練されているので、「壊れている恐怖」はない。表現として洗練された、理解可能な恐怖なのだ。

だがひぐらしはそうではない。アルカイックな絵だからこそ、プリミティブな恐怖があるのだ。本当に最後まで破綻なく続くのか、というようなことまで含めて、全てが怪しくなってくる。この自分の足元を掘り崩されるような感覚は、サークルが無名だからできる芸当でもある。

もう少し細かく見てみると、例えば昭和という時代設定によって、絵柄が陳腐ではなくなる。あの当時ではアレ位の絵柄でおかしくない。流麗な323絵は現代の都会(「Piaキャロット」など)に向いているが、昭和の土着的なムラを描くのには向かない。更に、いたる絵泣きゲのセンチメンタルな感情に向いている。

ついでに言うと、バイオハザードは初代が一番怖かった。ポリゴンが荒くて細部が分からないのだが、だからこそ不条理な怖さがある。もう一つ、PSは読み込みが遅くてイライラしがちだが、ホラーというジャンルのために、ドアを開ける間が緊張を高める効果にうまく転化していた。これが例えば、笑いなどのジャンルだと間が抜けてしまったりする。

まとめ

いつのまにか商業ゲームの話に戻ってしまったが、最後にまとめておこう。商業が精密画だとすれば、同人はデザインするという要素が重要になる。インフラも貧弱なので、表現の上でいらない要素は思い切って捨てることが重要になる。そしてまた、遊ぶ方も割り切ることが重要だろう。