恋愛の昇華

うどんこ天気 - 独りでいた時に声をかけてくれた人

自分が相手のことを好きだということが解れば、相手に迷惑だろうと思った。出来るだけ、短く、素っ気無く話した。少し挨拶をする以上は仲良く慣れなかった。

私は自分の気持ちをとてもとても持て余したけれど…自分の彼に対する気持ちは、非常に不純で依存的で、また勝手な妄想だと思ったので、ずっと、ずっと我慢して黙っていた。「あなたのために痩せた」(病気になった)とか重たいだろうし、私が恋愛だなんて…いや「私と」だなんて周囲の人にもきっとからかわれるだろう。相手の人が。相手の人が、いやな目に会うに違いない。

実は、相手に迷惑が掛かるから我慢したのではなくて、自分の気持ちの純粋さを守るために、(無意識的に)告白しなかったのかもしれない。

もし相手に断られれば辛いのは自明だが、それだけでは「傷つきたくないから恋に臆病になる」という発想だ。その手の俗なことが言いたいのではない。そうではなくて、かりに相手が承諾「しても」、やはり理想的な関係ではないのだ。なぜなら、実際に付き合えば幻滅する可能性が出てくる。すると遡って、自分にとって救いになった出来事まで色褪せてしまう。受諾も拒否も行き止まりなのでディレンマになる。

恋愛関係の形成には必ず媒介になる不純物が必要なので、気持ちが純粋過ぎるとかえって上手くいかない。友情と恋愛は別のベクトルだが、このケースでは「男女の友情は成立しない」が反転して、「男女の(理想的な)恋愛は成立しない」になっている。別の視点で言うと、心的な圧力と温度の関係で、恋愛関係(ドロドロした人間関係)を経ずに、現実から離れた人生史上の象徴的な人物(=想い出の人)に、直接なってしまうことがある。それを「昇華」と呼ぶ。

一度でいいから、ありがとう、とだけ言いたかった。

従って、大事な気持ちを伝えられないからというよりは、伝えられないから大事な気持ちになっているという風に、相手との必然的な断絶を含むところに、真の悲しみが存在するのである。