エロパロ同人が強い理由

エロパロ同人が強い理由

SSMGの人の日記 - エロパロ同人の「パロディ」である必要性

パロディである必要をあまり感じない

全く逆に必然性を強く感じています。それはなぜかを述べていきますが、まず単にエロが強いという話との区別をしておきましょう。ビデオデッキもインターネットもエロの力が多大に貢献したのだという話はよく聞きます。しかしここで言いたいのは、エロとパロの結びつきの関係です。例えばアダルトビデオで「アイドル流出もの」は一ジャンルとしてあるでしょうが、ジャンル全体に占める割合で言えば、コミケにおけるエロパロ同人ほどは高くないでしょう。

なぜか。同人は虚構を扱うので、同一性の基準が広いからです。実在の人物は必ず一人であり、似ていても別人に留まります。対して同人では、似ていなくても特定のキャラクターだと認められることがあります。極端な例で言うと、昔TVの企画で、杉作J太郎綾波レイの絵を描いたことがあって、原作のイメージとは全く似ても似つかないのだけれども、それが綾波を描いているのであろうことは認識できる。プラグスーツなどの特徴群は、画風よりも強い参照力を持っているからです。ところで、商業でエロができないから同人で売れるのだろう、という話はよくありますが、今の話はその隠れた前提になっています。アイドルはエロができないから似た娘が売れる、というほどではないので、意味がある主張なのです。

そして、そのキャラクター表現の揺れ幅が、単なる原作との誤差ではなくて、むしろキャラクターのアニマ(生命)になっています。もう少し言うと、ズレは物理的に生じるのだけれど、それを利用することはできるわけです。例えば、あずまんがを肉感的に描いたりするのは、単なる偶然ではなくて、エロに結びつく必然性を感じます。つまり、虚構における表現の位置エネルギーが性的エネルギーに変化しているのではないか。だから、ひぐらしの原作の絵が叩かれていますが、一旦普及してしまえば全く問題にならないどころか、かえって位置エネルギー差を産むのでしょう。

このように、キャラクターオブジェクトから個々の同人誌の登場人物インスタンスを生成する仕組は、同人の土台にある虚構という枠組を最大限に生かしています。もっと簡単に言うと、マリオの人数は無限増殖できる、というようなことに関係しています。もちろん、物語設定のマリオは、一人という約束事があるでしょうが、ゲーム操作中の「1機」のマリオは、機数を増やせます。そして、このキャラクターと登場人物の落差を、単なる虚構の穴・ノイズ的なお約束としてではなく、逆に記号の身体性として積極的に利用したのが、エロパロ同人なのです。ここで、健全だとキャラクター表現の揺れ幅は、単なる描き手の個性に留まってしまって、読者に注目させる力が弱いと言えます。やはり身体性を最大限に生かせるのはエロなのです。