生の無条件の肯定のために2.0〜囚人のジレンマと良きサマリア人〜

分べん中意識不明:18病院が受け入れ拒否…出産…死亡−事件:MSN毎日インタラクティブ
ある産婦人科医のひとりごと: 転送拒否続き妊婦が死亡 分娩中に意識不明
新小児科医のつぶやき - その日が来たか・・・

さらに受け入れ病院には非常に重い十字架が架せられています。最近の医療では不十分な体制で受け入れる事も非難される時代になっています。義侠心を出して手薄な体制で引き受け、結果として不幸な転帰を取った時には「引き受けた方が悪い」と非難の的になります。「なぜもっと万全の体制の医療機関に送らなかったのか」の厳しい批判です。批判は単なる言葉だけの問題ではありません。莫大な賠償金付きの訴訟が待っています。訴訟が起されればマスコミからのリンチのような社会的制裁が待っています。そんなものを受ければ病院の存亡に関わる事態になりかねませんし、担当した医師は医師生命を断たれてしまいます。


法律がなぜあるかというと、自然状態では囚人のジレンマ(下図)が防げないからです*1。AもBも非協力の方が得*2ですが、両方がそう考えるとdの状態で均衡してしまい、これはaより損している事態です。具体的には、詐欺や窃盗や殺人が横行している状態*3になります。そこで国家というものがあって、法律や警察などでdよりaに向かうよう方向付けるわけです。

B-協力 B-非協力
A-協力 a(A+,B+) b(A−−,B++)
A-非協力 c(A++,B−−) d(A−,B−)


ところが、産婦人科医療崩壊に関する記事を読んでいると、これが逆転しているように思われます。すなわち、互いに非協力になるように方向付けられています。患者(の家族)側は助かって当然と考え、死亡すれば訴えるので、医者側としては死にそうな患者は断り、結果的に患者はたらい回しにされてしまいます。ここでは、完全な理想像から見た減点主義が、悪い方向に働き、囚人のジレンマ状態を産んでいるのではないかと思われます。医療の専門家でもないのに、安易な気持ちで解決案を提唱する気はありませんが、それでも「良きサマリア人」に関する話は参考になると思います。聖書の寓話から名付けられていて、大雑把に言うと善意の行為者を罰しないような規定の話です。


航空機内での救急医療援助に関する医師の意識調査

*1:もっと丁寧に展開すると社会契約論の系譜の議論になるでしょうが、今は本筋ではないので端折ります

*2:Bにとってはa>bかつc>d、Aにとってはc>aかつd>b

*3:「万人の万人に対する〜」