「無断リンク禁止」を禁止するのもどうか

変えられないのか

煩悩是道場 - 実際のところ「無断リンク禁止」を変えるのは難しい


共同体の成員が直接対話することがないのが日本人の特徴で、それはそれで問題だと思うが、無断リンク禁止に特有の問題ではないと思うし、全体として変えていくことはできると思う。しかし、それは「無断リンク禁止」を禁止することではない。どういうことか、以下説明しよう。

祭りはムラの行事

人類の長い歴史の中で、盗みや詐欺はおおよそ悪であった。そこまで行かなくても、日本では室内に土足で上がることは禁じられていた。だからそれらに怒るのは普通だろう。しかし、Webはその歴史が浅いので、特定の決まり事について、これに従って当然だという態度は軋轢を産む。「マルチポスト」なども初心者にはなぜ禁止されるのか理由が分からないものだ。そういう場合に感情的になることで、何か生産性が上がる事態はありえない。ただひたすら機械的にFAQを読むような流れを作るのが妥当なところだと思う。


もっとも、「どっちもどっち」などという傍観者的態度を取っているわけではない。「無断リンク禁止」を無視できるというのは、正当な引用は無断でできる、という事情と関係しているだろう。リンクフリーにはそれなりに根拠がある。しかし、それは最終的に法律的なレベルの話で、「リンク時に報告されたし」というお願いを個人が出すことまで禁止するのであれば、それはそれで表現や思想の自由がないと考える。ただし、公共的なサイトは自由にリンクできるようにすべきだろう。


無断リンク禁止」はWeb0.5的な考え方だと思うが、単に無断リンクが多数だから正しいということでもないだろう。モヒカンとムラが、単に二つのムラがあるという現象に還元されないためには、それなりに合理的な議論と実践に従っている必要がある。「無断リンク禁止」を掲げるサイトに「これはひどい」と言って「祭る」だけでは、2ちゃんねる的なものとさして変わらないと思う。祭りはムラの行事である。

「おかえり」としてのトップページ

萌え理論Blog - 大手ニュースサイトからブログに来た読者の97%は他のページを読まずに帰る


ムラの掟的に「無断リンク禁止」を禁止するよりも、もし自由なリンクに生産性があることが分かって、自然に広がっていけばその方が良いと思う。上記はわりとミもフタもないリンクフリー(ディープリンク)の効用の解説だ。端的に、クリックするごとに読者が減るので、読者を獲得する目的の上では確実に損だという話。


無断リンク禁止」を掲げる人が家の比喩を使うのは、「ホームページ」とイメージがダブって興味深い。トップページはホームの玄関だというわけだ。従って「トップページ→目的のページ」という順序になる。しかしWeb2.0ではこの順序が逆転していると思う。


上の記事で、読者の97%はトップページなど他のページを読まないという話をしたが、回数を重ねていけば、一回も読まない確率は減っていく。0.97^10 ≒ 0.74で四分の一の確率で(少なくとも一回は)読む。だから、ディープリンクが普通の環境において、トップページは先に読むページではなくて、後で読むページになっているのではないか。このことをさしあたって、トップページは玄関ではなく、迷ったとき、もっと行きたい場所があるときに見る案内板のようなものだという説明を考えている。