空気系の定義を巡って

批判

萌え理論Blog - 「場所立ち」と日常系・空気系・世界系
樹海エンターテイナー:『神戸在住』とか読んでみました。

これらは萌え理論Blogさんの挙げる『空気系』の定義と禁則事項ですが、僕自身はこれに関してかなり懐疑的です。それを否定する上で『神戸在住』という作品は重要な例なのではないかなと。人が死にますので。

そも、かなり理系的な分け方(従えば100%分類できる)にも関わらず、『違和感があるだろう。』とか『三つの要素は「空気を乱す」』とか『〜〜の空気系作品はありえない。』という個々人の認識に関わる部分に対して根拠のない断定をしているのが一番問題だと思うのです。


「Aの分類にはBの例外あり」は必然だ。もしこの指摘を回避するには、「A」から「A>B」という不等号関係に記述を変えればよい。すなわち、「空気系はその他の作品よりも暴力・性・笑いをストレートに描かない傾向にある」などと弱める。しかしその形では掲げなかった。なぜか。曖昧化が読者に情報をもたらさないからだ。これは次で考えよう。


また断定が問題だというが、例えば、「Aだが、BやCや…かもしれない」「Aだと、私は思う」と曖昧化すれば、問題ではなくなるのだろうか。それはクリーンナップせず、迷い線を残して置けば、上手く見えるという程度のことではないか。次で詳しく述べるが、私はそのような方法に対して懐疑的だ。なぜか。

再批判

樹海エンターテイナー:『空気系』とでも呼ぶべき作品群について。

空気系の定義はこんな感じでどうでしょう。
 1.物語全体を通したテーマにクライマックスシーンを持たない
 2.その仮想世界・仮想空間の雰囲気を描くことに重点を置いている

(…)んー、でもこの定義だとまずいのは、大抵の4コマ漫画やギャグマンガも空気系に含まれてしまうという点ですね。魁!クロマティ高校は上記の定義だと空気系になるわけですが(主題がそもそもない上に仮想空間の雰囲気を笑いにしている)、クロマティARIAは分類上同じだヨ!! なんていったらARIAファンにダンプで轢かれるかもわからんので、いのちをだいじにする上でも何かもう少し良い定義を模索する必要がありそうです。もっと細かい分類にすれば一応解決するんですが、空気系を更に分類すると今度は苺ましまろをどこに分類するかが難しくなってしまうので(あれはギャグで良いのか?という問題)。何かアイデアのある方がいれば御教授下さい。

というわけで、以下は明らかなギャグマンガを除いた空気系についての話。


「個々人の認識に関わる部分に対して根拠のない断定」はここでも変わらない。ただ(これはネタだという批判回避の雰囲気を醸し出しつつ)、「違和感があるだろう」と私は断定しないが、他人(ARIAファン)にその判断の丸投げをしただけだ。つまり、断定が責任転嫁になっただけである。だから、装飾を省いて最初から「明らかなギャグマンガを除く」と一言だけ言っても本質的には変わらない。


実は、引用した定義でも「100%分類できる」。「物語全体を通したテーマにクライマックスシーンを持たない」のであれば「空気系」作品だ。だが言いたいことはおそらく、「物語全体」や「テーマ」や「クライマックスシーン」を具体化しないので、個々の作品を断定できず、結果「100%分類」できないという意味だろう。しかしそれは問題の先送りに過ぎず、結局は同じように懐疑できる。やってみよう。


例えば、四コママンガのオチのコマが「クライマックスシーン」に相当するのであれば、四コマは含まれない。しかし、引用先の意図からすると、おそらくそういう使い方ではない。四コマの一本は「物語全体」に相当しないだろう。しかしでは、四コマの連載の終盤にクライマックスが来るのはどうか。それなら、四コマは定型コマだから、というのはどうか。だがクライマックスには表現形式だけではなく心理的なものもあるし、『あずまんが大王』では普通のコマ割りもある。*1

結論

断言するか曖昧化するかが問題なのではない。そうではなく、反証に対して開かれているかどうかが問題なのだ。例えば、ギャグマンガも空気系に含まれるという、「クロマティARIA」を同じ視点で見る主張がいつか現れ、しかもそれを支持する者も現れるかもしれない。そのときに、むしろ断言していた方が、変化がはっきりと見える。その見かけに反して、不透明な主張は批判を先取りし、変化を受け入れる余地がない。


人間は有限の経験しかないので、必ずどこかで無根拠な断定を下さざるをえない。私も「物語」「薄い・深い」といった言葉は無定義で使っている。むしろ、根拠のない断定は全くしていないと思う方が幻想であり、曖昧化はそういう幻想を抱かせる分だけかえって問題だと思う。それは、明言しなければ間違いもしない、という相対主義に過ぎないだろう。だが、曖昧化すれば自由や可能性が残るというのは幻想である。

*1:後に「『萌え系』『ギャグマンガ』は『空気系』とどう違うか?」という関連記事が出てくるが、ここでは扱わない。また引用先の記事の関連から言えば、少なくともここで「ラストだけ空気系ではない」と部分的には扱えない