物語のルールインフレ
作品名 | インフレの内容 |
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ドラゴンボール | 強さのインフレ |
エヴァンゲリオン | 語りのインフレ |
いわゆる『ドラゴンボール』の「武闘会形式」とは、スカウターの数値的により強い敵が出現する、というRPGのような構造を指すだろう。次々に強い敵が出てくるので、常に読者の興味を惹きつけておくことができるが、同時にある種の表現の貧しさを感じさせる。
『エヴァンゲリオン』以降の「セカイ系」形式においては、敵が強くなる変わりに物語の興味が、実存的かつ抽象的なものに段々変形していき、最後には破綻してしまう。これを「語りのインフレ」と呼ぶ。そもそも敵が強いかどうかが、語り手の関心になくなっていく流れだ。
更に一般化すれば、「ルールインフレ」とでもいうべき現象が、セカイ系の作品群に見られる。具体的にはルールを上書き更新することで、例えば『ひぐらしのなく頃に』ではミステリのルールに上書きしたためにプレイヤーの間で議論が起きた。
しかしここで興味深いのは、『涼宮ハルヒの憂鬱』の存在である。言うなればセカイ系の刑事コロンボとでもいうか、最初(ラノベ一巻『涼宮ハルヒの憂鬱』)にエヴァの最終回のような展開があって、そこからあたかも学園エヴァのような日常に回帰していく。ルールのデフレである。
涼宮ハルヒは『ドラえもん』におけるのび太と対極的だ。既に自身が神のような存在であり、欲望の対象というよりも欲望それ自体を欲望している。つまり「ほしいものがほしい」ということだ。彼女が探している宇宙人たちはドラえもんの秘密道具とは違っている。秘密道具はあくまで日常の不満を解決するための道具だが、宇宙人などの他者たちを探す行為はそれとは異なり、欲望の座標軸自体を日常のものから変えてしまうためのものなのである。