ネタや中二病に流れるのは、性格の問題ではないかもしれない

情緒的なブログは確かに多いですし、ブロガーは痛い奴ばっかりだ! 中二病の奴ばっかりだ! 単著もないのに! という側面もあるかと思いますが、あえて性悪説に立たないで考えると、実は性格の問題じゃなくて体力の問題じゃないかなと思うわけです。どういうことか。


ブログは時系列で記事を構成しています。そして、たいていは一人で一日サイクルで記事を書く形式です。従って、何かの専門家だったりスキルがあれば、スタイリッシュなブログを維持できるでしょうが、そうでなければ(あるいは仕事を持ち込むのが嫌ならば)、単に深く調べる体力がなく、そもそも客観的なスタイルで書くことができない、という側面もあるのではないでしょうか。これは自分のブログも初期とは全然違うスタイルになったので実感しています。


ちなみに、ここでも羅列型ニュースは非常に強いですね。というのは、どこまで調べれば見つかるか分からない調べ物と違って、サイト巡回は一定時間内に収まりますから、長期間続けても息切れしないスタイルです。しかも単なるリンクだけの場合に、炎上したり揉め事を起こすことも比較的少ない。だから自然淘汰の結果、多いのかもしれません。


真面目なスタイルで書いていると、調べものとかコメントの対応とか段々重くなってきて、ブログの床が抜けそうな感じがしてきます。すると、内向的な人は中二病スタイルに、外交的な人はネタスタイルに走るのではないか。本人は力を抜いて書いたつもりでも、そっちの方が大受けしてしまったりして、そうすると真面目なスタイルはバカバカしくなって、もう元に戻れない。何となく求められるものが出来てくると、空気を読んで期待に答えようとするのが人情です。ちょっと違うけど、学校のクラスのグループ分けが新学期の序盤に決まってしまうみたいな…。


それはそれでアリなんでしょうが、まだブログは若いメディアなんで、可能性も探しておきたいところです。これはネット一般にも言えますが、「どうせ○○なんか〜」と結論を出すのは早すぎる気がします。


とにかく毎日更新していると、一日サイクルの制約が結構大きいと感じます。時系列を止めてWikiはてなグループのキーワード)みたいなとこで書いてもいいんですが、ニュースサイトはみな時系列で動いているので、アクセスにこだわる人は移行しにくいでしょう。もっとも、キーワードを利用して少しずつ複数同時進行で書いて、完成したものを掲載するという、水面下のキーワードと表面上のブログの二段構えにするとか、工夫の余地はありそうです。


ちょっと脱線した話をすると、もっと昔は凡庸なものは全て馬鹿にしていた…というか全てが何かのコピーに思えた不感症な時期(中二病?)があったのですが、何か思いつきで突飛なことをやるより、完全にパターンに収まっててもいいから、ひたすら丁寧な作業をして完成度を高める、ということも大事かなと思えてきました。


将棋の棋士は、序盤こそある程度定跡に従って指すんだけど、必ず途中で固有の局面に枝分かれしていきます。同様に、細部を詰めて行くと、どんな平凡なものでもどこか違ってきます。同じデータベースの要素を使っていても、その組合わせ方は際限がないので、データベースと個性は矛盾しないのではないかとおも思えてきます。