精神(不)安定剤としての社会問題

ニートは扶養控除外 自民が検討
ニート&フリーター“家から追い出せ”大作戦

 民主党小沢一郎代表も、「漠然と他人に寄生して生きているなど、とんでもない」とし、「ただ甘やかせている親たちもどうかしている。動物にも劣るといっても過言ではない」と夕刊フジコラムで持論を展開している。


ニートは非国民」という「はあちゅう的世界観」は前からあるわけですが、それと同じような「動物にも劣る」*1を大物政治家が発言し、しかもそういう流れに大衆は賛成し、ますます加速していくであろう状況は大変まずいと思っています。ニートの実像も一般のものとは違いがありますが、それはid:yukihonda氏のような専門家諸氏に任せて、私は専ら社会の変化だけ追ってみます。


税金を取れれば何でも良い政府と、叩ければ何でも良いマスコミの相乗効果によって、これからもあんな奴はダメだこんな奴はダメだと、条例や税金が増えていくでしょう。ニート以外は関係ないわけではありません。同じ発想でパラサイト税とかできるかもしれないではないですか。さらにそのうち「ひきこもり禁止条例」とか「子孫を残さない非モテに税金を」とかでてきそうです。「ブロガー税」「トラックバック税」とかも嫌だなあ。「電子メール税」もできそうですね(AOLとYahoo!のメール料金の話が関連)。


ここで注意すると別に、逆にニートを税金で優遇せよとかではないですよ。ニートに対する税金(ほか扶養控除など)は絶対に上げてはいけないとかではないですよ。でも今回は動物呼ばわりだし、ニートが迷惑でお荷物だから負担を掛ければ減るだろう、税金も取れて一石二鳥だという感じでなされている。それは良くない。要するに感情的なレベルと政策のレベルは分けられるべきだということです。産婦人科医の逮捕の話題も近いものがあるかもしれません。


現在も都では、特に意味もなく未成年の深夜外出は禁止されているので、実際問題簡単に通っちゃいそうな感じですね。しかし、先にマスコミが煽っておけば、「国民感情に配慮した」と言えば何でも通りそうな状況は良くないと思う。法と道徳どころか感情とも分離できないというのでは、近代国家ではなくて、何と言うのだろう…ポピュリズムというか、ムラ国家みたいなものでしょうか。何でも自由が大事というわけではありませんが、ただ不自由にすればいいというものでもありません。


例えば2ちゃんねるの、それもニュー速的な場所では、感情のはけ口以上の表現がなく、ニートやひいては誰かをこき下ろせば良いというだけなので、こういう流れに逆らうのは難しいでしょう。民衆どうし内部で敵対させ分割統治するというのは基本ですが、ネットの言論というのはそれに乗っているわけです。


こういう現象を「精神(不)安定剤としての社会問題」とでも名付けておきます。つまり、本当にその問題が解決するかはどうでもよくて、ただ誰かを叩くことで自分のネガティブな感情のはけ口になれば何でもよくて、政府やマスコミはそういう流れを利用すると。確かに有害なんだという理由で煙草などを重税にしていますが、それと人間を一緒にしていくのはどうなのかなあ。(いや、動物以下だから一緒にはしてないですけど)せめて煙草と同じくらいは調査して実態を見ないと。


そもそも国家は市場の競争だとか成員の共同体からはじき出された人を保護する(別にそれが手厚い福祉国家である必要はなくて、たとえ小さな政府でも同じことです)機能を持つわけで、だから税金を取っているはずなのに、天下りの官僚や無駄な公共投資公共投資が無駄という意味ではありません)を維持するために、市場から弾かれた奴を狙っていこうという、転倒した話になっています。これはひどい


でも、大衆的には「ニートなんか関係ないからいいや」となるでしょうね。それはそうなのだろうけれども、次は何々・次は何々と迫って来て、最後は足をつかまれそうです。だいたい大衆の感覚と役所の基準は違うわけで、これは未来の仮定の話ですが、例えば失業したときに、はい君はニートですと烙印を押されたら終わりでしょう。何回以上失業したら〜とか杓子定規な物差しを作られたらどう仕様もない。一度そうなったら最後。どうみてもカフカの世界です。ありがとうございました。

*1:という指示の対象はニートよりその「親」を指しているらしい