エロゲにおける西洋思想・東洋思想

エロゲはなぜ神に近づくのか


歴史の知識がないんであまり大掛かりな話はできないですけど、それでも割りと大雑把に捉えられるんじゃないかと思っていて、エロゲの神学的というか形而上学的な構造というのは、西洋近代の恋愛観がコンシューマ化したものだと思うんですよ。


日本の前近代的な物語というのは勧善懲悪とかですけど、明治の近代化で「小説」とか「自然主義」とか「私」の「内面」「描写」とかいうものが輸入されました。それ以前のなかった状態が今ではうまく想像できないですけど。*1


で、その「個」と「個」の恋愛を極端に純粋化・記号化・デザイン化して展開したのが(恋愛系)エロゲだと思います。大昔に生きてたわけじゃないからよく知りませんけど、夜中に夜這いするとか、大きい家に嫁げてラッキーとか、そういう時代もあったでしょう。しかし、イケメン・金持ち・優等生の誘いを断るのがエロゲのジャスティス。


巫女とか日本的意匠が登場することも多いです。巫女は処女的な性格が重宝されていますが、処女性の尊重というのは仏教伝来以降の女人禁制の影響だと思います。古代の神話(「古事記」とか)でも性がそんなに強い禁忌になっているわけでもないみたいだし。ちなみに卑弥呼は日巫女とか日見子とか読めますが、巫女の元祖でしょうか。あと関係ないですけど、ツンデレ喫茶より(和風)巫女喫茶が欲しいですね。


でも、近代的恋愛観は交換可能な属性に惚れてはいけません。だから泣きゲでも萌え要素はあるでしょうが、それに露骨に惚れるとダメだと思うんですよ。なぜなら、おっぱいがでかいから萌えました、では泣けないです。つまり、泣きゲではまだモダンな恋愛をしているけど、萌えゲになると近代を超えたようで太古に逆戻りしたように見えてきます。

エロゲーはおかずであるという原罪を抱えているけれど、作者のインスピレーション(神の恩寵)及び緻密な演出等(努力)で”ブンガク”になれる」


これは、日本的かつオタク的な事情ではないかと思われます。サブカルチャーをあえて語るところに実存を見出すのは(かつての)おたくの流儀でしょう。それは例えば特撮でもいいです。子供が見る番組なんだけど、そこに高度なものを見て取るという。同じようにエロゲはエロだから日が当たらないけど、あえて「エロゲー批評空間」みたいなもので語ると。にっかつロマンポルノでもいいですけど。DQとかFFだとメジャーだからあんまりオタクという感じがしない。


「ことのは」の件もありましたし、基本が日和見な私は、あんまり宗教的なところを深く掘り下げたくないんですけど、最後にちょっとだけ触れると、信仰の広がり方には風土的な部分もあるでしょうね。例えば砂漠の方は凄く厳しい土地でしょう。だから一神教も受け入れやすい。対して日本は四季の移り変わりがあって、台風やら地震やらもバンバン来るんで、多神教的な性格になるだろうと。これは和辻の受け売りです。


で、そういう風土の日本はアニミズムがあって、それは虚構に魂を感じるオタクの倒錯的な精神と関係があるでしょう。アニミズムフェティシズムと近いですし。最近びんちょうタンとか擬人化が流行ってますが、あれも妖怪の系譜ではないですか。だから、大昔にはアニメもああいう絵柄もないけれど、どこか懐かしい感じがする。ここまで本当適当に語ってますので、突っ込みどうぞ。

*1:ここら辺は大塚英志とかが詳しそうです