なぜなにエロゲ論

memoriaグループ - なぜ
なぜシリーズがまとめられています。


萌えという場所 −資本主義社会における超越性の逃げ場−

変化生成しながら循環する型の永遠が近代資本主義の形態(たえず乗り換え続ける
無限の自転車操業)そのものであることは大澤真幸氏あたりも指摘していますが、


貨幣は流通してこそ貨幣であり、(例えばハイパーインフレーションで)交換がストップしてしまえば紙切れになってしまいます。IT産業や金融市場の変化の激しさを思えば、資本主義が自転車のように動き続けるのも納得できます。クラインの壷のように循環するシステムです。大澤氏は直接はエロゲに関係ないですが、動ポモに触れているのでいつか取り上げたいです。


エロゲの欲望論 −善と悪のバランス−

現実社会が鬼畜化すればするほど、
エロゲ(芸術領域)では純愛萌えのような理念的なものが流行する。


「鬼畜化する日本社会」というのは凄いコンセプトですね。でも確かにバブル崩壊以降ひどい感じはしています。事実は小説より奇なりというか、世の中が先を行ってしまっている。そしてその原因をゲームに求めて規制するわけで、何重にも転倒しています。つまり…現実で抑圧されていなければ、虚構での禁忌破りで享楽を得ることはできない、というバタイユのテーゼがありますが、むしろそれが反転して、虚構を抑圧して現実で禁忌破りしているという状態でしょうか。