DQN・信者・ヒッキー・オタクの厨房四大属性を分析する

基本マトリックス

社会関係 自己 他者
能動→ 受動↓
↑真実 ←生成

血液型占いよりは根拠があるかもしれない厨房占い。
上図、社会関係を自己と他者の表裏の四つに分ける。
それは即ち真実→能動→受動→生成→真実…という、
連鎖構造になっている。これに四つの分析素を組む。

  • 「名前」…主体。世界に一人しかいない所の固有な存在。
  • 「立場」…象徴。地位や名誉も含んだ、その人の肩書き。
  • 「常識」…知識。ある共同体とそこでの約束事の集積物。
  • 「夢」…欲望の対象/原因。無限の葛藤が収束する場所。

「夢」は「悪夢」になることもあるので適宜読み替える。

応用マトリックス

DQN 自己 他者
立場→ 常識↓
↑名前 ←夢
信者 自己 他者
常識→ 夢↓
↑立場 ←名前
ヒッキー 自己 他者
名前→ 立場↓
↑夢 ←常識
オタク 自己 他者
夢→ 名前↓
↑常識 ←立場


これが厨房の四言説のマトリックス
暗号にしか見えないが次で解説する。

DQN(体育会系)

DQN 自己 他者
立場→ 常識↓
↑名前 ←夢

DQN:真実・名前→能動・立場→受動・常識→生成・夢


「俺様がヒーロー」。DQNはなぜ一匹狼を理想にしながら
暴走族から暴力団まで縦社会に容易に組み込まれて、しかも
あっさり更正して世の中で上手くやっていけるかという理由。


つまり、真実は「オレ」にあるのだが、能動的な行動は
あくまで特定の立場によってなされる。受動的な位置に
いる一般人から夢が生成するというのは分かりにくいが、
要するに、チンピラに絡まれた女を助ける幻想パターン。

信者(理系)

信者 自己 他者
常識→ 夢↓
↑立場 ←名前

信者:真実・立場→能動・常識→受動・夢→生成・名前


特定のものを熱狂的に布教する。自己の表側の常識の裏に、
真実としての立場を据えるので、DQNより一段階抽象的。


DQN:真実・一個人→能動・特定集団
信者:真実・特定集団→能動・全体集団


DQNの場合は常識的一般人が受動の対象だったが、
信者における受動対象の夢は科学的に未解明なもの。
名前を生成して真実の立場に、とはつまりネズミ講

ヒッキー(文系)

ヒッキー 自己 他者
名前→ 立場↓
↑夢 ←常識

ヒッキー:真実・夢→能動・名前→受動・立場→生成・常識


セカイ系サブカルサヨク的な人もこれ。いわゆる反抗者。
自分探しは、即ち個人の裏に眠る真実の夢探しでこれを重視。
受動対象は特定の立場や権力権威。常識を生成し民衆を導く。


アーティストからワナビまで、特別な存在でありたい欲望を持つ。
DQN俺様主義と違う点は、集団に組み込まれ(たく)ないこと。
だから集団は、縦社会より同じ夢を持つ友達的な横並び型になる。

オタク(非モテ系)

オタク 自己 他者
夢→ 名前↓
↑常識 ←立場

オタク:真実・常識→能動・夢→受動・名前→生成・立場


倒錯している人。真実・お約束→能動・萌えという行動原理。
受動対象は固有名で、作家作品などのパロの対象になるもの。
固有名の分析で立場を生成して新しいお約束を作るのが好き。


オタクがマニアックな信者や反抗的なヒッキーと違うのは、
常にパロディとか二次創作をしよう、というところにある。
例えばブロガーのコピペ改変もハッカーの解析も同じこと。

言説の成功と失敗

次に、各パターンの人種の成功・失敗の基準は何かを示す。
一般に、どのパターンも裏が裏に収まるのが古典的美学で、
裏と表が反転してしまうのは、よくないとしたものである。


どういうことか。例えばDQNなら、最高の理想はおそらく、
西部劇的に「オレは〜として当然のことをしたまで」と言い、
最後に名前を弱者=一般人に教えるのが、格好良いのである。
反転した虎の威を借る狐は、定義上ヒーローではありえない。


信者はどうか。信者はあくまで科学的常識に基づいて議論したい。
なぜなら科学は主観ではない(と思われている)のだから、常に
立場は隠れていなければならず、もし反転すると腐敗してしまう。


ヒッキーはどうか。自己の内部にある夢のようなものが、
真実だとは思っているのだが、それは表に出した途端に、
たちまちありふれた陳腐な決まり文句へと堕してしまう。


オタクはどうか。ただ有限のパターンでしかないお約束から
無限に萌えが出てくるところが魅力なのであって、反転して
「萌え」を呼称していはいるが、ただマンネリなのは萎える。

言説が好むもの

どの言説も、裏を書き換えられる対象(処女的なもの)を好む。


例えばDQNにおける他者が、単に匿名的で常識的な存在に見えて、
実は夢を持っていた(ガチンコ)というのが、魅力的なパターンだ。


例えば信者における魅力的な他者は、未解明の矛盾のようなものから、
「私の存在」へ移行する(○○に悩まされていたが、××を信じて安心)。


例えばヒッキーにおける魅力的な他者は、常に分かりやすい権力集団で、
それを解体して、普遍的な市民のようなものを目覚めさせるというもの。


例えばオタクにおける魅力的な他者は、固有名(キャラクターなど)で、
それが属する立場を生成変身する(擬人化・メイド化など)のが魅力だ。

言説の関係

四言説 自己 他者
DQN→ 信者↓
↑ヒッキー ←オタク


各言説が重視する場所で分類するとこうなる。
DQNの自己・表とは、要するに素朴なオレ。
ヒッキーの自己・裏とは、本当の特別な私。
信者の他者・表とは、信じさせる当の対象。
オタクの他者・裏とは、深読み・パロの対象。


斜めの関係はお互いに理解できない。
DQN:オタク ヒッキー:信者


対して、縦横は比較的移行しやすい。
DQNの信者化とは、つまりはどこかの組織に入ってカタギになることだ。
信者のオタク化とは、自覚的無自覚的にトンデモ化していくということだ。
オタクのヒッキー化とは、つまりエヴァのようなセカイ系の動きのことだ。
ヒッキーのDQN化とは、ドメスティックバイオレンスリストカットか。

原因

類型化だけではなくなぜそう分類できるのか、
という原因が知りたい人がいるかもしれない。
基本的に構造主義的・オブジェクト指向的に
内部はブラックボックスでも構わないとする。


それを踏まえた上での仮説だが、
情報に関する態度の分類である。
いったいどういうことだろうか?


一般には「名前」<「立場」<「常識」<「夢」の順に、
集合に属する要素数が大きく、外延の輪郭も曖昧になる。
そして自己・裏→自己・表→他者・表→他者・裏の順に
不確実性が高くなる。他者の裏が読みにくいのは自然だ。

社会関係 自己 他者
2→ 3↓
↑1 ←4


だから最初の図を不確実性の順に書き換えると、
上図のようになりしかも下のように関連がある。
1真実→2能動→3受動→4生成
1名前<2立場<3常識<4夢

展望

DQN 自己 他者
2→ 3↓
↑1 ←4


DQNは不確実性と集団の大きさが調和していて、
精神的にも打たれ強い構造になっているのである。
また、他者の裏、すなわち義理人情を大切にする。
図から、他者に情報資源を割り当てる。外向的。

ヒッキー 自己 他者
1→ 2↓
↑4 ←3


対してヒッキーは、自己の裏という狭い場所に
(特定の時代地域に関係ない普遍的な)夢を
抱え込んでしまうので、不安定な状態になる。
図から、内面に情報資源を割り当てる。個人的・主観的。


特に自己の表(単純)と裏(複雑)で衝突する。
これがいわゆる自意識過剰と呼ばれ、DQNと逆だ。
どの言説でも、4と1の間の断絶が、幻想の領域だ。


上の二つの図から言えるのは、セカイ系の作品での
外部の環境の貧しさは(エヴァの殺伐殺風景さ)、
情報資源を自己・裏に割り当てているということだ。


エヴァ以降総じてライバル的存在が薄いのも、
他者の裏に対して興味の対象(夢)を見ない
からで、やはり内向化であると言えるだろう。


オタク 自己 他者
4→ 1↓
↑3 ←2


とにかくオタクが自分語りしたい存在で、
他者表を単純化(類型キャラ化)するのも、
この表によく現れていて、分かりやすい。
図から、自己に情報資源を割り当てる。内向的。
(ハーレムエロゲで自分の好みのキャラを選ぶとか)

信者 自己 他者
3→ 4↓
↑2 ←1


信者の場合、他者の見解を非常に重視する(だから信者)
ところがオタクと違う。正当性とは客観性だからである。
そしてしばしば他者の内面を軽視し、予定調和で嘘臭い。
図から、外面に情報資源を割り当てる。集団的・客観的。


参考のために、最後に各言説の複雑性一覧表を載せる。


自己・表 1ヒッキー<2DQN<3信者<4オタク
自己・裏 1DQN<2信者<3オタク<4ヒッキー
他者・裏 1信者<2オタク<3ヒッキー<4DQN
他者・表 1オタク<2ヒッキー<3DQN<4信者

関連

ラカンの精神分析 (講談社現代新書)
タネ本。まんま「四つの語らい」という分析装置がある。
あくまで精神分析の解説書であってオタクの記述はない。
これに忠実に解説したわけではなく自己流に読み替えた。


はてなダイアリー - 斎藤環とは 戦闘美少女の精神分析
オタクを、メディア環境に応じて進化した倒錯者の一種としていて、
その点では、ここでの分類とわりと近いところにあるか。精神科医


まなざしの快楽
凄くいい加減なので、鵜呑みにしてはいけない。インチキ。