学生さん的正義について考えてみる

日本が可及的速やかに、しなきゃいけない絶対教育改革

小娘が何か言ってます。


要するに、ええと…ツンデレ!?

ニートは国民の三大義務である
勤労、教育、納税の「勤労」をしてないから非国民だ」

決して、「家事手伝い」は非国民ではないんだよね!

「みんなで楽に適当に生きましょう」ってなったら、国は滅びることだけは確か。
そもそも、向上心があるのが人間なのに。人間力が落ちてる!!

あれ? バブルの頃の方が、みんなで楽に適当に生きようとしてなかったっけ?

「なんで一生懸命働こうって意欲が失われつつあるの?」
って考えたんだけど、私なりの推測は、「愛国心がないから」。

リストラされた人は、愛国心が足りなかったんだよね!

結局は恋人、家族、伝統、地域社会への愛が愛国心になるんだと思うの。
で、それらを「愛する」ことが出来ないなら、教育が絶対悪い。親と学校と社会が悪い!

若者批判のようで、実は教育が、ひいては親と学校と社会が悪い。これは美味しい!

中国の教育に感動したので、あれを取り入れるべきだと思ってる。
あの国はいろいろなもののバランスが悪すぎる。でも、人材の宝庫ではある。

人口比で考えてるよね! 日本の十倍以上も有能な人材がいるという宝庫!

この国を変えたいと思ったら、何になるのが一番てっとりばやいの?
マスコミ?お金持ち?

結論はそれか…う〜んポジティブ!

惰性で生きる大人か学生さん的正義か、という二択は拒否したい

嫌味臭い大人になるより、覇気がある方がずっといいと思う!
でももし例えば、後でマスコミに就職活動したりするときに、
仮に落とされたら、就職浪人は非国民になるのかな?
自分の場合に限っては、面接官が悪い〜後で勤労する意志が〜
というダブルスタンダードを設けたりはしないよね?


自分の発言は、時間が経つと、自分の意図を裏切ってしまうことがあるんだ。
例えば日記を読み返すと恥ずかしい感覚を感じる。それは成長でもあるけど。
たぶんこのエントリ自体も、あっという間に腐臭を放ってしまうことだろう。
大人になると、経験則から自然と、恥を掻かないように大言を発しなくなる。
でも大人か子供かとか、現実か理想かという二項対立は凡庸で凄く嫌なんだ。


どんなに現実に流されつつも、理想を持つことは重要だと思う。
それは、位置ではなく方向、結果ではなく過程を重視すること。
そもそも必ず実現するような理想は理想たりえないんじゃない。
「一日は24時間が理想!」「みかんの皮をむいて食う理想」とか。
でも「みかんの薄皮をむいて食う理想」はちょっとだけ存在する。
「わたしの理想は五分刈りよ」になるともうちょっとは存在する。


理想は現実にないから理想であって、夢はいつでも夢のまた夢だ。
それでも理想は必要だと思う。数列が収束する極限のようなもの。
理想的な視点と現実的な視点はどちらかではなくどちらも必要で、
しかもその両者の間で葛藤してるときにだけ、価値が生じるんだ。
つまり可能性というか、オルタナティブを提供する限りでの価値。

まじめに考えてみる

抽象的で何を言ってるか分からない? そうだね…。
例えば、本文の例に上がっているような、貧困国に
行けば、生きることに必死だけど、だからといって、
殺人が少ないわけではなく、むしろ大虐殺が起きる。


そこでは、空虚だと思われた「なぜ殺してはいけないか」
は、突然リアルな問いになる。自分が生きるためなら
何でもする。それを安全な場所から批判できるだろうか?
そしてその断絶があるときのみ、殺人禁止は意味を持つ。


でも私も安全な場所にいるから、ちょっとずるい感じだよね。
結局、何が言いたいかというと、分かりやすい答えは虚構で、
現実と理想に引き裂かれるディレンマの方が大事ってことだ。
十年後でも同じことを、惰性でなく言い続けたら本物になる…


…なんか萌えから離れてしまったので、ここで打ち切り。