深入りしないと言ったけど

髪型と心理の因果関係についてちょっとだけ
髪型だけではなくて、例えば英語ではブラザーと表現するところを、
日本語では「兄」か「弟」か、年上・年下属性を明示的に表現する。
それで問題は、家父長制年功序列的な日本の社会体制が先にあって、
それに言葉が追随しているのか、あるいは実は最初に表現があって、
そういうコミュニケーションをしている内に社会が形成されたのか。


答えは分からない。しかし、因果関係は置いておいて、相関関係は
示せる。それをたとえ話と言ってもいいし、構造と言ってもいいが、
関係とその予測・制御さえできれば満足する、というのが構造主義
つまり、関数の内部はブラックボックスでいいオブジェクト指向だ。


そうじゃないんじゃないか、アニメは分かりやすくするためわざと
髪型を指定しているのだ、人為的意図的だ、と思うかもしれない。
確かにその可能性も大いにありうるだろう。しかし一方で、実際に
どれ位のマンガアニメ制作者編集者が、この性格だからこの髪型と
意識的に制作しているだろうか。本当は、ただ先行する作品を模倣
している内に自然とそういう秩序が形成された、という面はないか。
なんとなく三つ編眼鏡は定番だから、金髪ツインテールツンデレ
というお約束、経験則から作っていて意味付けは事後的になされる。


また社会構築主義ジェンダー論やPC(ポリティカルコレクト)や、
様々な領域に飛び火していく、実は結構デカイ問題系だったりする。
例えば髪型が校則で決められているように政治的なものになりうる。
なぜ、ハゲがハゲと差別されるのか、というようなことも関係ある。
しかし、このブログのテーマはあくまで萌えだから、深入りしない。
分類という思想 (新潮選書) またこの手の問題は実は理系にも関係ある。