幻想空間と想像的時間

止まっていた時間

236 名前:名無しさん@そうだドライブへ行こう[sage] 投稿日:2006/01/23(月) 23:06:20 ID:+/6iwpFz0
>>235
ホント悲しいよな、時間の流れって。
中学時代片思いしてた同級生の女の子。その頃の俺は何もできず、何をすればいいのか、それすら分からなかった。

今年の正月明けに実家の近所のスーパーで再会しました。
彼女は俺と同い年になってました。


同級生なら同い年だろうと、最後の一行が話題になったのだが、
この幻想を実体化させてしまったのが、新海誠ほしのこえ』だ。
この作品の趣向は、別離によって理想化される記憶の中の恋人
というモチーフを、SF的発想で変奏して再現したところにある。
しかもそれは、単に奇を衒ったのではなくて、われわれの現実と
リンクしている。それはネットなどの想像的な空間の拡大である。


ネットワークは円環的な時間をもたらす。時間は曲がったりしないが、
しかしニートやひきこもりにとっては、同じところぐるぐる回っている
という時間感覚はリアルだろう。そこまで行かなくても、ネットや携帯に
没頭して時間があっという間に過ぎ、ハッと我に帰ることはあるだろう。


ラブひな』は浦島太郎をモチーフにしているが、それはもちろん
浪人生活というモラトリアムを象徴している。(アニメ版よりの印象だが)
眠りの中で一瞬に過ぎる「夢」をモチーフにしており、しかもそれが
亡霊のような老人が住んでいる地方の温泉という場所と相関している。
だからどんなに現実的な脈絡が滅茶苦茶でも、擬似家族の説得力がある。
それは「萌」という人形が、主人公となるを擬似夫婦のように結び付ける
シーンで最も幻想的に現れるのだ。しかも夢とは記憶の可能な組合せだ。