ブロガーとライターの違い

ブログあがりのライター

私がブログあがりのライターであるために、「(紙媒体ではなくても)ブログで読めばいいじゃん」という批判は想定の範囲内*1でしたが、とうとう編集者の方にまで、「紙媒体とネットの違いは何か」という趣旨のことを言われてしまったので、ブロガーとライターの差異化は今後の課題になりました。

日本語という同じ言葉を使っている以上、紙とネットで原理的な違いがあるわけではありません。しかし、事実上大きな違いがあります。紙媒体は印刷するためネットほど簡単に訂正・削除することができません。字数や締切の融通も利きません。従って、情報や期限に対する正確さが求められるでしょう。

不特定多数に対して開かれている*2ことも必要です。作家・評論家ではないので、「分かる人には分かる」個性的な表現よりも、予備知識や文脈がなくても読める、透明性が重要になると考えます。出版はパブリックにすることに他ならず、つまりは公私の区分です。

すぐ前のエントリでも書いたのですが、ブロガーとライターの違いは、同人誌で書いているか商業誌で書いているか、という違いに似ています。(特に二次創作の)同人誌は、その作品を知っている人にとっては魅力的ですが、知らない人にとってはほとんど意味不明です。

ブログで喰えるか?

ブログの方は諦める(閉鎖)という選択肢もあるにはありましたが、個人的にそこは譲りたくありません。ライターの仕事をしてみて、むしろブログの隠れた良さが見えてきました。それは、字数・締切・規制の制約が緩く、訂正・削除も即時性があるので、コスト・リスクが少ないということです。

仕事の依頼は途絶える危険性が常につきまといますが、ブログはいつまででも続けられます。二〜三十年の長期で見たときに、実はブログの方が意外と喰える可能性も出てきます*3。またマンガでたとえると、新人漫画家より古参アシスタントや人気同人の方が喰える、という話と似ているでしょう。

ブロガーとライターの二足のわらじをはくメリットもあります。たとえば、もし締切が移動するとデスマーチが発生します。そのとき、ブログに割く時間がクッションになって吸収すると助かります。また、あまりにも単価が低すぎる仕事*4は、ブログが断る基準になります。デメリットは、批判する方は場所で区別しないので、一蓮托生になることです。

出版業界の市場規模が縮小しており、2007年にはネットが雑誌の広告費を上回った*5ので、ブログを潰すと後の芽を摘む予感がしています。たしかに現時点ではブログで喰えそうな感じはしないのですが、ブログ開始からここまでが確率的に結構狭い道のりだったので、ここからプロのブロガーになるのも夢ではないような気がしています。甘いかな。

フリーブログとシェアブック

ブロガー・ライターの二重化は、読者側に何かメリットがあるでしょうか? それに関しては、フリーソフトとシェアソフトの違いのように認識される状態を目指します。

つまり、フリーソフトが普及すると、大部分の人は「フリーソフトを使えばいいじゃん」となりますが、一部の人がシェアソフトを使ってくれれば、成立します。それでは、フリーソフトとシェアソフトの区分は機能の違いですが、ブログとブックの違いは結局のところ何でしょうか。

エッセイストに近いような場合はまた違うのでしょうが、私の場合は資料性・調査性の有無で分けることになると思います。日本は識字率が高いので文章自体は誰でも書けますが、同じ文字でも情報の正確性は異なるので、フリーとシェアの違いがそこに発生すると見ています。ネットで書く文章はネットで調べた情報だけですが、紙媒体ではそうもいかないでしょう。

そういうわけで、届いた本などの資料が積み上がって、今部屋がひどい状態になっています。ただ、一朝一夕にどうにかなるものではないでしょう*6。たとえば一年間のアニメ放送を録画するのには一年掛かります。過去の作品についてはDVDを買えばすぐ集まりますが、コストが高くつきます。そういうわけで、資料収集についても色々考えていますが、詳しくはまた別の機会に譲ります。

*1:ニコニコ動画でMADを作る神職人がアニメータになったとたん作画崩壊と言われてしまうだろうみたいな

*2:義務教育を完了していれば理解可能だという程度の意味

*3:福田和也氏と坪内祐三氏との対談『正義はどこにも売ってない』で、ネットでいつまでも書くものではないだろう、という話が出ていますが、今述べたように逆の印象を持っています

*4:たとえばネットの個人依頼に多い……というか要するに情報商材系の仕事。実態を隠蔽して区別できないことがある

*5:電通調べ

*6:たとえば、唐沢俊一氏は1万冊(それ以上)の蔵書を所有しているという話があります