本質的教育は可能か?

本質的教育

2010年、マッチョ主義によって日本社会のとてつもない大改革が始まり、人々の生活が根底から変わりはじめた - 分裂勘違い君劇場

突っ込み所が色々ありますが、元記事と同じような長文になるので、ここでは一点に絞りましょう。本質的教育*1って何なのか、という問題です。もっと本質的な教育をしろ、と言うのは簡単ですが、示すのは難しい。示せなければ屁理屈になってしまう。

本質的数学

現在の大学入試問題のような、パズルのような数学の難問を解くことに使う時間はぐっと少なくして、それよりも、人類の遺産である、高度で有用なたくさんの科学や数学の概念を深く緻密に理解することを優先する。

他にも「未来を切り開く」「本質的なレベル」「現実の問題解決」といった美辞麗句が登場しますが、今の学校で教えているものとは違う、そういう本質的な数学(や他教科)というのが、具体的にどういうものなのか分かりません。

本質的な足し算や掛け算やベクトルや行列や微積分…は、学校教育のそれとはどう違うのか。現実の問題解決に役立ち未来を切り開く、高度で有用な科学や数学の概念を、本質的なレベルで深く緻密に理解する例を、具体的に示して欲しいですね。

難問を解くより深く理解しろ、というのは一見何かを言っているように見えますが、深く理解しようとすれば、自然と取り組む問題が難しくなるでしょう。問題を解かないような概念の理解というのは、三角関数が測量に使われている、というような応用の話ですか。

もちろん役に立っている応用分野はありますが、それは基本の裾野の上に乗っています。例えば、掛け算の九九を教えず微積だけ教えようとしても仕様がないですよね。高度で有用で本質的な部分だけ切り取り、しかも学校教育で大勢に教えられる形に落とし込むのは、非常に難しい。

元記事は、とにかく実務に役立つようになるんだ、ということが言いたくて仕方がないようですが、パズルのような入試問題だとさんざん批判したから、ゆとり教育になったんじゃないんですか。マッチョかゆとりか、自己責任か自主性か、言葉のイメージの違いだけで、「本質的なレベル」では同じなように思います。

そして、そうではないのであれば、具体例を示して欲しいわけですよ。いかがですか。

*1:「本質」などの定義が不明だが、さしたり、「高度で有用なたくさんの科学や数学の概念を深く緻密に理解すること」か。以下、断らないがこの意味で用いる