同調圧力から負荷分散へ

モダンとポストモダン

新年もマシンガン その1:「嫌なら見るな」を撲滅したい - HINAGIKU 『らめぇ』

「嫌なら見なきゃいいのになぜわざわざ文句をつけるのだろう」という言葉には、こう返せるのだ。「文句つけられたくないなら書かなければいいのになぜわざわざネット上に書くのだろう」

近頃何においても、クラスタ化(個人的には言霊の力を信じて『くら☆すた』と表記しているが)し蛸壺化する流れを感じる。それも、とても細かい単位で。軋轢を拒み、軋轢を生みそうな相手との接触を避けて生きるのは賢明だろうが、そこには生の熱さがない。自家発電もいい、同好の士とともに熱狂するのもいい。だが、他者とのぶつかり合いもまた、エラン・ヴィタールなのだ。

異を唱える者とは徹底的にやりあうべし。

戦術レベルで実際に議論に巻き込まれたときに、議論の土台自体を揺るがしてしまう「嫌なら見るな」を、肯定するわけにはいかないだろうが、戦略レベルではそれもアリなんじゃないかと思う。特に、好き嫌いといった価値観の議論は平行線を辿る。そして、ネットの議論だけではなくて、社会全体に普遍化して話すと、モダンからポストモダンへ移行するときに、「クラスタ化」が不可避なのではないかと考える。

「異を唱える者とは徹底的にやりあうべし。」というのは、ハーバーマスモダニズムに位置づけるような、普遍的合理性による公共的議論が成り立つ環境においてはそうだろう。しかし、ネットは世界全体に接続されているので、「炎上」「祭り」に代表されるように、議論が成り立たない状況がしばしばある。だから、クラスタ化は有効である。

ここに矛盾を感じるかもしれない。インターネットは世界全体に公開されているのだから、最も普遍的で公共的であるはずだ。だが、ポストモダニズムは、普遍的な理性という想定自体に疑問を呈する。合理的・普遍的・公共的・全体的…と思われていた言説は、実は特定の言語ゲームの枠なしではありえない、という事態として、ポストモダニストは見るのだ。

じっさい、ネットはコミュニケーションコストが低いために、しばしば感情のはけ口として利用されてしまう。先に挙げた「炎上」「祭り」における批判者たちは、同じ論理ではなく同じ感情によって一体化している。だから論理的には、キュビスム*1な、非整合的な断片の寄せ集めになる。

同じ事態を、モダニズムは他者の不完全性として、ポストモダニズムは他者の非整合性として見る。あるいは、モダニズムにとって疎外の形式が、ポストモダニズムにとって自由の条件になる。これはどちらかが優越しているわけではなく、二つのモノの見方である。ただ、現在の環境では、ポストモダニズム的システムが優勢ではあると思う。

同調圧力と負荷分散

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教育段階の初期で職業の適性を見ることで、後の就職時の混雑・混乱が避けられる。

グローバル恋愛資本主義 - 萌え理論Blog

昔ならそれぞれの村の中で一番魅力的だった異性も、今やランキングの中で何千番目・何万番目の競争順位になってしまう。

抽象的な話なので、具体的な詳細を見よう。上の記事は、職業や恋愛など全く異なる分野の問題だが、構造的には「炎上」「祭り」と同じである。大規模なプログラムでグローバル変数を濫用するとまともに動かないように、社会全体が上手く回るためには、クラスタ化・ゾーニング・ローカル化・カプセル化…といった、ふるいわけは必要だと考える。

そしてそれは、流動性を多様性に、同調圧力を負荷分散に、変えていくことでもある。職業の話で言うと、産業が高度化・複雑化したので、小さい頃から適性を見ておけば、専門的な職につけたかもしれないのに、受験競争という単一の物差しで見るために、学歴社会の一部の勝ち組は別として、非正規雇用者は「炎上」している現場に、満員電車的に詰め込まれてしまう。

確かに、「嫌なら見るな」「嫌ならやめろ」的な物言いが抑圧的に響く場合がある。オルタナティブな選択の可能性が低い場所で、権力を持っている人間が言った場合がそうだ。しかし、代替が利く場合は、その場所にこだわらずに、マッチングを試してみるのは有効だ。浅田彰の「逃走論」は、今の時代の方が有効に機能すると思われる。それは、東浩紀の言うような「動物化」ではない。

昔なら村一番の何々自慢が、今ではネットのランキングで何万位になってしまう。だから、全体的かつ相対的な基準を採用すると、不幸になる部分がある。百人いたときに、上位一位を除いた、後の99人は日陰になるシステム*2は、上位一名の成功物語としては面白いが、社会システムとしては問題がある。それより、基準を100個に分割して、全員が一位になるシステムの方が、最大多数の最大幸福*3を実現する。

書いているうちに、元エントリから随分遠い地点に来てしまった。id:y_arim氏にしてみれば、話がはぐらかされていくように感じるかもしれない。しかし、コメント欄でアダルトコンテンツのゾーニングの話が出ているように、クラスタ化・ローカル化といった、場所の複数化の流れは、必要だし有効だと思う。

*1:あるいはネオエクスデス

*2:クリエイティブ業界がそんな感じ

*3:あるいは最小不幸