アメリカンドリームとは別の道もある

地獄への道は善意で舗装されている

金銭面。下っ端にもお金が行き渡る。同世代より明らかに給料がいい職種になるには。

確かに底上げは難しい。たくさんの人が業界に来れば自然と給料は下がると思う。なので、格差はあっても良くて、(健全な)成功者へのサクセスストーリーみたいなものが必要。はいいなと思いました。

現状のIT業界平均年収は変わらなくても、ちゃんと一部には数千万稼ぐ人は存在して、しかもそうなるためのキャリアパスみたいのが誰にでも描ければベストだと思う。例えば野球なら、甲子園で活躍→プロ入り→大リーグ とか、イメージしやすい。

(…)あと、人気の職業になったら、狭き門になればいいんじゃね?とか思った。

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20071228/1198831897

「下っ端にもお金が行き渡る」という話がいつのまにか「格差はあっても良くて」にすり替わっている。上で言っていることは、決して建設的でも前向きでもなく、むしろ暗い現実をもたらす。こういう無知で無邪気な善意が、補給兵站がダメダメで地獄に近い前線に兵士をガンガン送り込む。そこに陶酔はあっても愛はない。*1

アメリカンドリーム型のスターシステム

「(健全な)成功者へのサクセスストーリー」とカッコをつけても、実態は不健全である。PG→SE→PM*2というのは、エスカレータ式に自然と上がっていくわけではなく、「例えば野球なら、甲子園で活躍→プロ入り→大リーグ とか、イメージしやすい。」というように、次のステージへ進める道は狭く、まあ多くは35歳定年*3が先に来てしまう。それから、大工→建築士→建築デザイナーとキャリアアップしないだろうが、そういう分業に近い場合もあるのは押さえておきたい。

現状が既にそうなっているのに、これ以上スターシステムを構築して、労働力の供給過剰による人材使い捨てを加速しても、末端の現場にいるプログラマは幸せになれない。イメージで煽れば、イメージと現場は違うという話になる。アメリカンドリーム型の、頂点へ昇る射幸心を煽りながら、底辺の矛盾から目をそらすシステムを導入するのはいただけない。特に、募集・採用時に夢や希望や自己実現をうたう場合ほど、現実の労働環境はひどいという欺瞞は、見逃せない。

それに、芸能界がスターシステムでTVや映画に名前が出るのは、元々そういうものだから別に構わないが、(既にそうなっているものの)IT界にスターシステムを移植しないでほしい。それがゲームのようなエンターテイメントならばいい。Webサービスもまあいい。だが、ITはあらゆる分野で急速に浸透していて、交通とか医療のようなクリティカルな現場にも関係しているのだ。2000年問題は何事もなかったが、そういう重要性がある分野を芸能化するのは賛成できない。

「なりたい職」と「なれる職」

日本のようなその場の空気が支配する同質社会で、「好き」や「夢」を強調していけば、お盆の帰省ラッシュのように、大渋滞が起きてしまう。そして前の記事で書いたように、労働力過剰で替わりが利くので、人材の使い捨てになってしまう。一部の層は成功して満足だろうが、それを一般化して語ってはいけない。だが、マスメディアに流通するのは成功者の話が多い。なぜなら、そもそも敗者は講演したり出版したりしないからだ。

いやメディアは利潤追求で自然と煽るとしても、少なくとも公的な学校教育がそれに追従する必要はない。実現可能性を無視すれば、みんなスポーツ選手や芸能人になりたいだろう。だが市場の需要と供給バランスは厳然と存在するので、なれる数は限られている。そして、夢の部分は固定して、努力と友情と勝利の物語にしてしまう。マンガやドラマに罪はないが、その発想を現実に適用するとひどいことになる。

そうではなく、「なりたい」より「なれる」ものは何かを考える必要がある。教育者は個性より適性を見ないといけない。個性は市場で評価されないのに、教育者の個性観で評価しても、大した意味はない。よく、「子供は無限の可能性を秘めている」などというが、可能性は無限でも時間は有限である。「少年老い易く学成り難し」なのだから、青少年期に膨大な時間を預ける教育現場では、専門的な眼で適性を見定めた方が意義がある。

「なりたい職」になれる確率は限りなく低い。例えば、総理大臣や宇宙飛行士は宝くじ並の確率だろう。しかし、「なれる職」というのは、小さい頃から探していれば、かなりの確率である。そして、なれるものに「好きを見出す」過程が必要なのである。これは、「どうせなれない」というような後ろ向きな話と区別する必要がある。

これは、努力論や精神論を否定しているのではない。そうではなくて、「したいことを実現する努力」ばかりではなく、「していることを好きになる努力」の話はちっとも出てこないことに、疑問を呈した。なれるものになって、後でなって良かった、と思う道もある。そして、ステーキが多少好きでも毎日喰ったら拷問だよね、というのは分かるが、その地点で留まらないで、肉をステーキ以外に料理して、味付けを工夫して微妙な変化を楽しむべきだ。

代替ある批判

ここまでの流れをまとめるために想像してみよう。字幕はともかく、ブックマークコメント欄にあるように、アニメ化・ドラマ化などイメージアップのキャンペーンをすると、適性を考えずに、猫も杓子もみんななりたがるようになる。すると労働力の量だけやたら増えて、安く買い叩かれてしまう。面接でプログラム力のある人間よりコミュニケーション力のある人間が採用されてしまう。結局、どうすればいいのか。量ではなく質の向上を考える。どういうことか。

最大公約数的にイメージアップするのではなく、素数を探すように素質のある人材をフィルタリングする必要がある。どういうことかというと、未来のプログラマ予備軍に大して、プログラマの良いイメージに触れさせるのではなくて、実際にプログラミングする環境に触れさせる。それは別に、全員に習わせるカリキュラムに入れろということではなく、「出会うきっかけ」*4になればいいので、夏休みに一日希望者だけとかでもいい。

ここが重要なのだが、ふるいにかけるわけだから、過剰に面白くしてはいけない。プログラマが大活躍するビデオを見せたら、みんな感想文になりたいと書く。そうではなく、クラスに40人のうち39人の子供が、内心別にそんな面白くないなと思う、淡々とした実習でいい。一人の子供の目が輝けばいい。

そうすれば、過当競争にならずに労働の質は高まり、そうすると需要を創造して労働者の待遇もよくなる。少なくとも、全然プログラムが分からない人材だらけで現場が混乱*5することは避けられる。まあじっさい、学校にコンピュータ室があったり、数学でBASICをやったりするわけだが、子供向けの学習用プログラミング環境などはまだ整備の余地がある。そして、他の職業の体験もできて、色々なふるいがあればいい*6

もしかしたら、ふるいにかけるというところに、非人間的なイメージがあるかもしれない。だが実際は、それをしないと潰しがきかない後になってふるいにかけられる。「クリエイター」的な人気職に殺到して、多くが夢破れるという、非人間的状況が生まれる。今はゲーム業界は少し落ち着いているけれど、大手ゲームメーカの採用枠四人にたいして二万人が応募したという例があるらしい。

誰にとっても「人気」の職業にする必要はなくて、適性のある人間がなった方が悲劇を産まない。この世代はこの職業に大量になりたがって、この世代は…という流行があるのは仕様がないが、それを人為的に作り出そうとしてはいけない。クリエイティブ業界に大量の兵隊が送られて、人的資源を安く大量に仕入れてウハウハで、みんなその業界や成功者の成功物語に酔いしれる。しかし、その宴会の杯に酒を注ぐつもりはない。むしろ、汚れた皿を洗うことを考えるのだ。

あとがき

  • プログラマの人気なんか出ないほうがいい、ひとつ俺が証明してやろう

こんなのばっかりだ。ブクマも同じ。建設的な意見を言うと寄ってたかってつぶしたがる。努力を否定する。

guri_2 増田, 考え方 できない理由を探すより、できそうな方法を出し続けたい。/否定する人は、なんか最近いやなことがあったんだろうなあって思う/やっぱ、動かないとなぁ

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20071229092111

確かに、高収入になったりモテたり人に感謝されたりする方が、はるかに面白い話だろう。私は物語を通り抜けて構造を見るので、お話としてはつまらないだろう。しかし、つまらない話ではあるが、決して暗い話ではないと思う。徹底して、現実的に明るい未来が来るにはどうしたらよいかという考察だ。が、マスメディアの洗脳もあるし、やはりみんな(見かけが)分かりやすくて美味しい話に飛びつく。そういう思考の人が見たら暗い話なのかもしれない。

*1:ちなみに、最初の引用記事のトラバやコメントを見ると、プログラムの現場に近いかどうかで、コメントの甘さ辛さが違うのが、興味深い

*2:動画→原画→作監とか、他の分野でもいいのだが

*3:別にそういう制度があるわけではないが、激務に耐えられなくなって自然と去っていく

*4:例えば博物館などに行ったりするのがきっかけになるので、小さい頃にどこにも連れて行ってもらえないと、チャンスを逃す

*5:実際、プログラムは入ってから覚えればいいとよく言うだろう

*6:もっとも、せっかくふるいにかけても、人月単価の構造が変わらないと、結局頭数の世界になってしまうのだが