ミニブログとケータイ小説
ポストブログはミニブログか
ブログからミニブログへと主力が移行する流れができていくかもしれない。だがなぜそう言えるのか、詳しく述べていく。
ここ五年くらいの間、Webサイトでの情報発信の形態として、ブログが台頭しているが、それではブログの次に何が来るのだろうか。有力なものの一つにミニブログがある*1。
最近、「Twitter」や「Tumblr」のようなミニブログが流行しているが、つい先日も「はてなハイク」がリリースされた。日本のブログサービスの古参であるはてなが、ミニブログをリリースしたというのは興味深い。
「ネットのコンテンツは無料」という固定観念が形成されたため、ネットの収入源は広告収入が主になる。そして広告単価がアメリカに比べて低いため、プロフェッショナルなブログを運営するのには、(「ブログ限界論」で言うように)限界が見えてしまった。
だから、長文のブログより、気軽に書けるミニブログに主流が移ってもおかしくはない。それに、ミニブログはモバイルと相性が良いので、ケータイ市場を取り込んで伸びそうだ。そして、モバイルではケータイ小説が盛んだが、ミニブログとケータイ小説に共通点が見受けられる。どういうことか、次で説明しよう。
ミニブログとケータイ小説
表 | 基本 | 派生 |
---|---|---|
日記 | ブログ | ミニブログ |
創作 | 小説 | ケータイ小説 |
上の表のように、ブログとミニブログの関係は、小説とケータイ小説のような関係になっているのではないかと考える。実際、ミニブログもケータイ小説も、簡単に書けて読めるという点が、普及に大きな役割を果たしているだろう。
だが、共に簡単な言葉で構成されているというだけで、ミニブログとケータイ小説の共通点を指摘するのはあまりにもたやすく、安直な指摘ではないだろうか。そこでもう一ひねりしよう。「リアルなもの」との関係を考える。
「リアルなもの」は、ミニブログにおいては場所性・時間性、ケータイ小説においては身体性・暴力性として現れる。具体的には、例えばミニブログで「いま・どこ」で何々しているという報告、といったものが挙げられる。
では昔のメディアはリアルではなかったのか? そうではない。映画が誕生した頃は、スクリーンに機関車が映っただけでリアリティを感じただろう。時代によってリアリティの感覚が移り変わるということだ。
ミニブログの中間的性質
最後に、このようにコミュニケーションを、対象の数によって、三段階のレベルに分けて示せる。このように見てみると、一対一でも不特定多数でもない、中間的なコミュニケーションの位置にミニブログがあることが分かる。
Twitterで他のユーザのエントリとマージして表示するだとか、はてクではそれに加えてキーワードでつながるだとか、色々な工夫は、流動的な中間クラスタ(小さな共同体)をどうやって作り出すか、という発想が核になっているように思われるのだ。