ミステリの一戒・一則を考える

現代ミステリに十戒も二十則もいらないのでは

読者の知らない手がかりによって解決してはいけない。

事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。

前のエントリでは話題の流れから、ノックスとヴァンダインになるべく沿って一戒・一則の形にしましたが、私の言葉で言えば、「推理に必要な情報が読者に対して十分に示されている」というのが、フェアな推理小説の(必要)条件です。

(…)だけで十分、とされているけれど、一般的に「フェアプレイ」のために一番重要なことは、

地の文で嘘をついてはならない。

 だと思う。

だから、それも含まれているんですよ。

「地の文で偽の記述をしてはいけない」という、現代でも生きている重要なルールも、「読者の知らない(分かりようがない)」という部分に含まれていると考える。

http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20071019/p4

この話題は後半で詳しく掘り下げます。

十戒二十則の現在、そして本格ミステリとは何か - 雲上四季

 十戒と二十則がフェアであるために作られた指針であることを踏まえ、かつミステリが必ずしもフェアでなくとも構わないという2点を承知していないと、突拍子もないことを言うはめになると思います。なにも清涼院流水竜騎士07を引き合いに出す必要はないでしょう。80年以上も前にアガサ・クリスティが『アクロイド殺し』を書いたときから自明なのですから。

だから、叙述トリックはフェアな推理なんですよ。

*1:単に偽の記述が許されれば、叙述トリックの意味がなくなる。
*2:もちろん、一戒・一則にしてもなお、「ひぐらし」はそれを破っている。

http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20071019/p4

もっと正確に言うと、偽の記述をしていないのが正当な叙述トリックだとすれば、前のエントリの一戒・一則の主張においては、叙述トリックはフェアな推理に含まれます。例えば、「男」を「女」だと思わせるのはアリですが、(三人称地の文で)「男」を「女」と書いてしまっては、叙述トリックとしても成立していない、ということです。

前エントリの一戒・一則は十戒・二十則より数が減っている分、外延が広くなっています。つまり、多くのミステリ*1に当てはまります。十戒・二十則の制限は狭すぎるが、だからといって無戒・無則ではなんでもありになってしまう。そこに、一戒・一則を提示する意味があるわけです。

矛盾した記述について

sirouto2氏のルールは「地の文で偽の記述をしてはいけない」というルールを包含しているとsirouto2氏は考えるが、そのような包含関係は認めがたい。解決に必要な手がかりを提示しつつ、地の文で偽の記述を行うことは十分に可能だ。

かの中二病の魔王は男性だ。だから彼女はこの事件の犯人ではない。

ここは丁寧に説明していきます。「Aは男性、かつ、男性でない」という矛盾した記述は、そもそも妥当でない上に、情報量を持たず推理についての情報不足ですから、一戒・一則に包含されています。(こちらは妥当ですが)「Aは男性か、または、男性でない」という記述に情報量がないのと対称的です。

リンク元記事が、矛盾した記述も有効な情報*2だと認める立場だとしたら、それは「明日は雨が降り、かつ、降らない」と言って、翌日雨が降っても降らなくても「ほら昨日言ったとおりだ」というようなものです。ミステリで言うと、「(任意の登場人物)Aは、犯人かつ犯人でない」という記述に、正しい犯人を指す情報が含まれていたら、読む前に必ず犯人を当てることができます。それはさすがにナンセンスでしょう。

あるいは、前の文が偽で後ろの文が真だという、メタな区別を導入する立場なら矛盾になりません。しかし今度は、矛盾の代わりに不完全になります。「Aは男性である」という(三人称の)地の記述が偽であるというのは、「Aは男性である(というのは偽である)」という括弧内の情報が不足している、ということです。つまり、真偽についての情報が足りないのです。なんだか異様に理屈っぽい話ですが、こういう話題を全部入れたら百戒・百則あっても足りない*3ので、シンプルな一戒・一則で大過ないでしょう。

第2点。sirouto2氏のルールでは、読者が手がかりを知る時点について触れられていない。

問題篇と解決篇が明確に分離しておらず、探偵役の捜査によって徐々にデータが集まり、事件の全体像が次第に明らかになっていくというタイプのミステリはどうなるのか。

だんだん集まった情報によって、だんだん深く推理する分には、フェアです。もちろん、情報不足の段階で飛躍した推理が正解になってしまうのであれば、アンフェアですが、それを問題編・解決編を小分けにしたと捉えれば、問題編・解決編型のミステリと、別に同じことでしょう。

1)全ての証拠が提示され、解決編の前に推理することが可能な作品。

http://d.hatena.ne.jp/sinden/20071025/1193313127

ちなみに、倒叙形式では、解決編に相当する部分が冒頭に来てしまいます。しかし、倒叙形式では、「問題→解決」の順番である必要はなく*4、フェアな推理が可能だと考えます。順番が逆転していても、情報の提示は必要ですし、逆に言うと、冒頭に犯人が分かっていても、その過程の情報が欠落していた場合、アンフェアとなりえます。

結論

指摘を検討してきましたが、どれも問題にならないでしょう。少なくとも、十分条件ではなく必要条件だという弱い主張にした場合、「それだけでは成立しない」というタイプの主張は全く否定になりません。

付記1・矛盾した記述について

通常、形式論理学では矛盾は情報不足ではなく情報過多として取り扱われる。前提に1つでも矛盾が含まれている場合には任意の命題が導出可能となる*1からだ。したがって、矛盾したデータが使い物にならないことは言うまでもないが、情報不足で推理ができない場合とはいちおう区別しておくべきだと思われる。

*1:ただし、ミステリの「論理」ではおそらく関連性の縛りがかかるため、矛盾したデータから文字通り宇宙の森羅万象が結論づけられることにはならないだろう。

現代の標準的な論理学では、「SはP、かつ、Sは非P」の場合、Sは存在しないとされます。Sが存在し記述が真の前提なら矛盾になりますが、仮説形成においては矛盾があれば仮説が却下されるだけで、「任意の命題が導出可能」にはなりません。

これが地の文でなく会話文であれば、もちろん偽の記述もするし矛盾した発言もあるでしょうが、任意の命題を導出して森羅万象を結論したりしないでしょう。

だから、問題は地の文の存在論をどのように位置付けるかですが、推理小説は、論理命題の証明体系ではなく、虚構内の犯人や殺人方法を推論・推測する創作物なので、矛盾している箇所は単に無意味な情報(書いていないに等しい)だという立場を取ります。

もちろん、矛盾・偽の記述がない方が健全ですが、矛盾した記述が「推理に必要な情報」の要件を満たしているという解釈はあまりしたくありません。なぜなら、読者が回答する方で、「(任意の)Aは犯人かつ犯人でない」と答えれば正解になるのか、というのがあるからです。

付記2・叙述と倒叙について

前回のエントリでは一戒・一則は「現代ミステリの条件」でしたが、新たに追加されたエントリにおいては「フェアな推理小説の(必要)条件」と言いなおされています。

かりに現代以前のミステリに十戒・二十則が必要だったとしても、現代には合わなくなっているのではないか、ということと、一戒・一則の形にすれば時代を問わずミステリのフェア性を判定できるのではないか、という主張は両立可能で、特に矛盾はありません。

ここで用いられている「だから」が不可解です。
(…)接続詞としてではなく「だからさっきから言ってんじゃん」的な使われ方をしているのでしょう。

その通り、「だから」は「だから言ったとおり」の意味です。論旨はよく分かりましたが、十戒・二十則を一戒・一則に変える、大筋の議論には影響ありません*5

一戒・一則を満たしてしまうと、もはや叙述トリックは作ることが出来ない。もしくは叙述トリックにしようとすれば一戒・一則を破ることになる

「推理に必要な情報が読者に対して十分に示されている」が(必要)条件となっているフェアな推理小説において「推理に必要な情報を読者に対して隠蔽する(偽の記述はしていない)」叙述トリックがフェアになどなるわけがありません。

違います。叙述トリックを用いない通常の推理小説においても、直接犯人が分かる形で、情報が示されているわけではありません(「トリック」ですから)。逆に、叙述トリックを使っていても、読者が推理可能なように、情報を示すことができます。

元記事の例で言えば、犯人が女性で、A・B・CのうちCのみが女性で、従ってCが犯人だという場合、女性だったのはAやBではなくCであることに、必然性がある記述(例えばCに女性に特徴的な振る舞いが見られたなどの伏線)があれば、叙述でもフェアになります。

多くの倒叙物においてはハウダニット、つまり犯行はどのようになされたか? というのが謎の本質になります。この犯行方法は「問題→解決」の順番で明かされますし、犯行という過程の情報を欠落させることで倒叙物は成立します。

ストーリー展開が逆だということはリンク元記事で参照しているページにも書いてありますが、「問題→解決の順番」という言い回しが引っ掛かるのであれば、「犯人が先に提示される」という言い方で構いません。

また、「情報が欠落している」とありますが、通常のミステリで推理に必要な情報が部分的に提示されているのと同じで、犯行方法やトリックなどが読者に推理可能であればフェア、不可能であればアンフェアです。

「なるわけがありません」「土台、無理な話」など、決めつけが多く、論理的な議論ができない印象です。

付記3・叙述における解の一義性について

椰子の実ジュースを飲みに中華街へ - 一本足の蛸

「(…)あるミステリがフェアかアンフェアかは、全部読み終わってから事後的に評価することなんだ。だから、読んでる最中にどちらのルールが適用されるかわからなくても問題はない」

「ここでいう山手線とはJR山手線のことではなくて神戸市営地下鉄山手線のこと」というのが、東京の山手線だと考えると不整合が出て神戸だと考えると上手くいく伏線があるなど、「読んでる最中に」推理可能であれば完全にフェアです。

東京と神戸と完全に読みが両立する状態で、作者が後で神戸と書いたから神戸が正解(東京と書くことも可能)、という解の一義性がない場合、完全にフェアとは言えないという立場です。まあ一戒・一則から読み取れることではないので、別に注釈が必要かもしれません。

付記4・推理小説のフェアネス=読者の推理可能性

べき論で云えば用語を統一するべきですし、あるいは言葉の使い方を変えたことを明示的に宣言するべき

確かに統一した用語が明示的に宣言した方が良いですが、事前にあらゆる批判に対応した形で記事を書こうとすると作者のコストが大きすぎるので、後でバージョンアップした形で再びエントリを起こすならば、そのとき統一することにします。

B) この条件を満たさない小説は推理小説(ではない|と認めない)

一戒・一則の条件を満たさなくても推理小説であると認めます。しかし、フェアだとは認めません。「フェア」というのは推理可能だという意味で、推理を可能にするには、推理に必要な情報の記述が条件になっています。逆に、推理不可能(弱い意味では「偶然的な解」)だがフェアだという場合、そのフェアさが何に由来しているのかの説明は必要でしょう。

Bへの反証については上記で完了していると思っています。

「[俺]おれせん。」の書き手も決めつけが強いが、向こうが「容疑者Xの献身」を含まない基準は認めないのは分かるとしても、なぜこちらが「容疑者Xの献身」を含む基準でなければいけない、という前提を(反証が完了というのだから)必ず採用しなければいけないのか分かりません。

ポストモダンで浸透と拡散でゼロ年代の定義にしては、些か狭量との印象が拭えません。

もちろん、浸透と拡散に対応しようと思えば、本格・新本格・準本格…など複数の段階に分けた基準になっていくでしょう。しかし、最初から複雑な長文で書くと、ブログにしては読者に対して読むコストを強いるので、単純なところから始めています。

「相当に浸透している十戒・二十則を敢えて更新する必要性を感じず、またもし仮に更新するとしても、〜数を合わせたほうが使い勝手は良いはず」

相当に浸透しているのだから、(更新するというより)一つだけ抜き出して簡略化することに使い勝手があると考えました。「推理小説のフェアネス=読者の推理可能性」を中心に考えたとき、探偵=犯人は推理可能なので、そういう規定を外したわけです。だから「よけいな情景描写や、わき道にそれた文学的な饒舌」なども問題ありません。

第一条 「フェア」について
 ・一項 作者は作品のフェアさについて保証すること
 ・二項 作者が作品に対して行った「フェア」を読者が承認すること

「フェア」についての定義で「フェア」という語を使っているので循環していますが、まあ作品に課せられた何らかのルールを作者と読者で共有する位の意味でしょうか。

しかし、その定義でもなお「ひぐらし」はアウトでしょう。作者と読者の間で「保証」や「承認」がなされていたと捉えるのは苦しいと思います。ただし「うみねこ」は、推理可能性があるかどうかを問うゲームだ、ということを明確に打ち出しているのでセーフでしょう。

「ルールを共有する」ということがフェアネスであるという、「準本格」だとか名称は何でも構いませんが、一戒・一則より緩やかなミステリもアリでしょう。例えば「地の文で偽の記述を書く」と宣言するなど。その場合でも、「準」と言い完全に別にしないのは、ある意味では「推理に必要な情報」が出ており、完全ではないが最低限の読者の推理可能性があるからです。

付記5・記述の有限性について

その際に叙述トリックを用いたミステリもフェアに含まれると述べられました。

「解の一義性がない場合、完全にフェアとは言えない」と答え、叙述トリックを用いたミステリが完全にフェアとは言えないと認められました。

フェアな叙述トリックは可能なのだから不備ではありません。

何故なら、叙述トリックを疑いだしたら、それこそ無限の可能性を考慮しなければならないからです。叙述トリックは男女トリックだけではありません、時間トリックや空間トリックなどもあります。(…)疑いだせばきりがありません。そして無限の解釈・無限の推理を許してしまった時点でフェアと言えるのでしょうか?

叙述トリックは無限の解釈・推理の可能性があるから、フェアたりえないという主張ですが、そんなことはないと考えます。叙述トリックであろうと、推理小説の記述は有限です。文字数が有限で、登場人物も有限だということは前提です。登場人物が何人かいるうち、相対的により犯人であることを有力にする伏線があれば構いません。

記述が有限でも解釈は無限たりえると反論されるのでしたら、観念的なレベルではなく、何かしら文脈に沿った作品を取り上げて、いかに叙述トリックの解釈が無限たりえるのか説明していただければ幸いです。…とオウム返しに済ませるだけではなくて、こちらも具体的に考えましょう。

上記で、例えば、「それからどれだけの時間が経ったのかはよく覚えていない。少しうとうとしているうちに電車は目的地に到着した。」というのが、実は一日(一年でも)経っていた、という解釈は、元記事の山手線解釈に比べて、かなり無理があると思われます。それに、どちらが犯人か絞る情報にはなりません。

あるいは、実は高村薫は、大阪-横浜間を一時間内に移動できるステルス超音速機を隠し持っていたのである、という解釈も、そのように推測できる情報が不足しています。これも、どちらが犯人か絞る情報になりません。無限に解釈できるなら無限に列挙せよ、と言ったらかわいそうですが、少なくとも同等以上に確からしい別解が相当量欲しいところです。

かりに無限に解釈・推理できるとしましょう。その場合でも、無限だから成立不可能なのではなくて、反証可能性が必ず残るのだと捉えます。具体的により有力な別解が出てくるまでは、最有力な答えを正解にしておいて問題ありません。フェアネスを実現するのに無限の解釈を先取りして調べ尽くす必要はなくて、有限の記述内で整合性があって、他の説より有力な記述があればよいのです。

*1:この部分は「本格」だとか、限定する形容を付ける必要があるかもしれませんが、今回は深く掘り下げません

*2:「(解決に必要な)手がかり」・「明白な記述」に相当する

*3:簡略版ではなく、もっと論理的に正確にしようとしたら、いくらエントリがあっても足りない

*4:自ら逆転させているのだから当然

*5:古典作品なのでネタバレに注意しませんでしたが、配慮が足りなかったかもしれません