嫉妬の感情を図解する

嫉妬と可能性

嫉妬とは可能性の発露であるそうだ。

http://akihitok.typepad.jp/blog/2007/10/post_a59a.html

上記の谷川棋士の例は、劣等感ではあっても嫉妬心ではないのではないか。

これは面白いテーマなので、可能性という視点から見た、嫉妬系の心理構造を、分かりやすく図解したいと思います。

嫉妬心

嫉妬の感情は優越されている相手に生じる、というのは常識的な出発点なので、特に説明の必要はないでしょう。図のように一人だけ突出している場合は、嫉妬の視線が集中するので、文字通り「出る杭を打つ」の対象になる恐れがあります。

上の図では一枚に簡略化して示していますが、感情が生じるのは物理的空間ではなく精神的空間*1なので、本当は一人ずつ異なる配置になっているはずです。例えば、ポケモンをゲットする*2とか、大人にとってはくだらない尺度が、子供の嫉妬の基準になっています。

羨望心

最初から視界に入っていない場合、嫉妬心はかきたてられません。棋士が野球選手に嫉妬しない*3というのはこれでしょう。ブロガーで言えば、はてブの人気などで嫉妬することがあっても、突然ベストセラー作家に嫉妬するのは考えにくいでしょう。もっと極端に言うと、「家康に幕府を開かれて嫉妬する」という人はまずいないでしょう。

黒い枠は自分の可能性が届くと思える範囲です。公の場で認められるなど、この限界を超えて上のステージに行くと、叩かれなくなる現象が見かけられます。例えば「○○気取り」といって叩く場合、「○○」自体は叩きませんね。言わば「出過ぎた杭は打たれない」でしょうか。羨望心のうち、届かない範囲では嫉妬が消えるので、賞賛となって表出すると考えています。

劣等心

一人だけ突出している場合は嫉妬の対象になりましたが、一人だけ遅れている場合は劣等心に近いのではないでしょうか。視線が分散するので特定の相手への「劣等心」を形成せず、漠然とした「劣等感」のままであることも多いでしょう。

劣等心か嫉妬心かは枠内で相対的に決まるので、リンク元記事の棋士の例で言えば、強い棋士しか視野に入っていないなら劣等心で、全体の中で見ていれば嫉妬心、一対一の関係なら微妙、と様々な見方があるでしょう。サリエリの例で言えば、バカにされたことで劣等感から劣等心に転移し、更に嫉妬心に転化したと考えます。

嫌悪心

図を回転すると嫌悪心・嫌悪感の説明にも使えます。優越に対する嫉妬が縦の関係なら、嫌悪は横の関係であると解釈します。「同族嫌悪」「近親憎悪」と言いますが、やはり同じ枠の中で嫌悪が起こるでしょう。また逆に枠の中だと好意になることもあります。ここで同族に対しては嫌悪、近親に対して憎悪、なのは関係を自由に離脱できるかどうかで分かれるのではないかと思います。

しかし、別の枠にいれば嫌悪が起こらないとは限りません。それは差別心に近いと思われます。ここで、「○○団体・組織」という枠自体を嫌っていても、その中にいる人間は嫌ってないということも起こります。「○○の誰々と話したら、意外といい奴だった」という感じでしょうか。

競争心

嫉妬心と競争心は対になっていると捉えます。図の白丸は移行の可能性を示していて、相手を下げようとするのが嫉妬で、自分が上がろうとするのが競争です。このように嫉妬心は競争性と相性が良いですが、リンク元記事のように、嫉妬心と協調性ではどうでしょうか。

これについては、協調性と同調性を区別したいと思います。嫉妬は非協調的同調性で、競争は協調的非同調性です。良きライバルとは対立(非同調)しても、結果的には切磋琢磨して互いに高め合うという、協調的行為をなしとげています。この辺りに、嫉妬のようなネガティブな心理をバネにして、ポジティブな成功につなげる鍵があるのではないでしょうか。

*1:リビドー空間

*2:昔ならビックリマンのシール

*3:逆もまたしかり