ツンデレと悪女の違い

議論の経緯

切込隊長の「そっち方面の創作物の中でしか」「演劇なんかでは兼ねてから議論されてきた〜」「逆に演劇とかを仕事でやってる人たちからすると〜」というオタクは視野が狭い、というような指摘への反論は、シェイクスピアの「オセロー」から澁澤龍彦江藤淳まで引いて、既に説明しておられるkagamiさんに譲りましょう。私の方は、オタク文化における「ツンデレ」と「悪女」の違いに、焦点を絞って議論します。

ツンデレと悪女の違い

外面 内面
ツンデレ 社会-欲望 個人-恋愛
悪女 個人-恋愛 社会-欲望

切込は、「悪女的表現⊇ツンデレ」のように包含的関係にあると主張します。それに対して私は、ツンデレと悪女はむしろ対照的関係にあると主張します。これが単なる水掛け論だという印象にならないように、なるべく分かりやすく違いを説明していきます。まず、上の表を見てみましょう。

悪女は、個人間の恋愛を手段にして、目的の社会的欲望を達成しようとする、要するに誘惑します。例えば「007」だとかスパイものの女が典型的です。一方ツンデレは、社会的関係が原因*1になり、個人的な恋愛を結果的に達成します。ただし、たいていそれは意図的・自覚的なものではなく、建前上仕方なく一緒に行動する内に、恋心が芽生える・成長するという形態を取ります。

「本心を知っていながらこれを隠し男性と駆け引きをしようとするような女性」は、やはり「ツンデレ」ではなくて「悪女」のカテゴリでしょう。ツンデレは、駆け引きをしない、というかへたくそでしょう。だから、「本心に気付かないか素直になれないまま男性と交流する女性」です。悪女には照れがない。

悪女は成熟した女性が男を操るのに対して、ツンデレは精神的に未熟だとも言えます。小学生が好きな子に意地悪するような側面がある。しかし、成熟と未熟というのも別の見方をすると、不純な悪女と純情なツンデレという対にも見えます。しかも、悪女は性格が悪いというレベルではなく、物語世界の虚偽を体現する*2こともよくあります。それが、少なくとも今のオタクコンテンツで、悪女がツンデレほど人気がない理由です。

昔の作品では、「らんま1/2」の天道あかねツンデレ天道なびきが悪女*3。最近の作品では、「涼宮ハルヒの憂鬱」の涼宮ハルヒツンデレ朝倉涼子が悪女。「ひぐらしのなく頃に」の北条紗都子がツンデレ鷹野三四が悪女。「ツンデレ・悪女という程ではない」という評価はあるでしょうが、(作品を知っている人なら)まず両者の配置を逆にはしないでしょう。ただ年齢が低い悪女は、「小悪魔」と呼んだ方が、違和感が少ないかもしれません。

宿命の女という悪女

以上で大体のところを説明していますが、「そっち方面の創作物の中でしか解釈しない」というので、「悪女」の類型に大きく影響している「宿命の女」*4を取り上げ、考察を深く掘り下げます。宿命の女とは、男を破滅の道に誘う女性のことで、フィルム・ノワールやハードボイルド小説に出てくる類型的な人物像です。*5

ここでハードボイルドというのは、20世紀のアメリカの、ダシール・ハメットレイモンド・チャンドラーらから始まる流れの作品を念頭に置いています。ハードボイルドな探偵*6に対して、それを誘惑する宿命の女が出てくるわけです。これは、ハードボイルド探偵という枠組を受け継いだ日本のゲーム、例えば「神宮寺」シリーズとか「EVE」シリーズでも同じ構造をしています。

もちろん、ハメットやチャンドラーといった巨匠と同格に扱うわけではありませんが、遠い影響というか原型の継承はしているでしょう。推理小説で言えば、金田一やコナンもホームズと大雑把には同じ枠組という話です。そこでは、「悪女」という類型も継承していて、かつ、ツンデレと混同したりはしません。だから、「そっち方面」であろうと、系譜を辿っていくと、繋がりはあります。

また、「プリティウーマン」の話が出ていましたが、例えばデヴィッド・フィンチャー監督「ゲーム」のヒロインの方が悪女らしいでしょう。あるいは、「インディージョーンズ・最後の聖戦」のような、メジャー*7なハリウッド作品を見てみましょう。ラストの方で、ヒロインは結局のところ聖杯が欲しかった*8ということが明らかになります。悪女は自分か主人公かどちらかが、過剰な欲望によって破滅するパターンが多い。

しかし、翻って、ツンデレはそのような金銭欲・権力欲・支配欲が根底にあるわけではない。例えば、「らんま1/2」の天道あかねにしても、「らぶひな」の成瀬川なるにしても、社会的関係上*9仕方なく一緒にいるという建前を採用するけれど、本音ではそれを望むようになります。これが分かりやすく現れるのが「べ、別にあんたのためじゃないんだからねっ」式の、よくある言い訳の場面です。

従って、ツンデレと悪女は、包含的ではなく対照的な関係だと捉えます。すごく雑にまとめると、基本的にツンデレは善女だし、悪女はデレツンなので、同じじゃなくて全く反対だよ、といったところでしょうか。ちなみに、今回は説明の表面に出しませんでしたが、二つの類型は「ヒステリー」と「倒錯」という、異なる由来を持っていると考えます。さて、最後に元記事を振り返ってみると、ずいぶん歯切れが悪いというか、論旨が曖昧で論理的でない印象でした。

付録・その他の論点

(…)だから、ヲタマーケットの中で喰ってる人がヲタが作る生簀から出たとき意外に評価されない場合もままあるというのは、現象としては一般化しうる話かと。

 だから夕方の時間帯で子供向けアニメを放送する地上波枠がなくなって、年代横断で楽しむアニメがなくなりつつある現状ってのが到来するわけですけど、(…)

オタクマーケットの中でしか評価されない作品が出回る現象と、子供向けや世代を越えて楽しめるアニメが減る現状は、そんな簡単に因果関係(「だから」)で結びつけられないでしょう。別にオタク向けの作品が出たから、押し出す形で子供アニメが消える現状が到来したわけでも、逆にオタク向けの作品をなくせば、家族団らんアニメがどんどん復活するわけでも、ないでしょう。二つは別々のことです。

あと、たけくまさんが代理店のことをエントリーしてました。かねてから問題視される、手塚治虫以降のアニメ産業の体質的課題そのものっスね。

この部分の引用元の文章は、別の記事へ言及しているのですが、少しだけ触れておきます。「手塚治虫以降のアニメ産業の体質的課題」とは微妙な書き方なので、あまり深く追求しませんが、もし「手塚治虫のせいでアニメ業界はずっと貧乏」みたいな話なら、そこには、少し誤解がありそうな気がします。

*1:何らかの事情で転校してきたとか、同居することになるだとか、色々なパターンがある。それはあくまで偶然の出来事で、悪女のように、ヒロインがよこしまな目的を持って近づくわけではない

*2:例えば後述の「ひぐらし」の鷹野三四。彼女は雛見沢の腐敗と欺瞞の権化で、最大の加害者だから「悪」女に相応しい。一方、北条紗都子は兄の悟史と共に最大の被害者であり、だから純粋なツンデレにふさわしい。梨花は少し悪女(魔女)が入っているし、レナはヤンデレが目立つので、やはり紗都子が一番ふさわしいだろう

*3:ややこしいが、女らんまもやや悪女が入っている

*4:これはkagamiさんも既に言及している

*5:一方、例えばヒッチコックの初期作品の、一緒に行動する試練をくぐり抜け、結ばれるカップルというのが、ツンデレに遠く影響しているように思える。しかしこれはまだ自分の中でも明確に位置付けていないので、注に回しておく

*6:シニカルなスパイでもいい

*7:スティーヴン・スピルバーグジョージ・ルーカスが作っているので、メジャーさに不満はないだろう

*8:一方、主人公は父親に諭され諦める

*9:らんまはあかねと許嫁、景太郎はなると同じ目標を持ち同じ寮に住んでいる