「School Days」最終回の放送自粛についてまじめに考える

「School Days」12話放送休止に関して

今週放送を予定しておりました「School Days」12話の放送は、現在、都合により放送を休止させて頂いております。

School Days:京都の父殺害事件で最終回の放送見送る 女子高生の暴力シーンを考慮−MSN毎日インタラクティブ

テレビ神奈川は18日、女子高校生による暴力シーンがあるアニメ「School Days」の最終回の放送を見送った。

前のエントリは戯画的・風刺的に書いたが、「ひぐらし解」もヤバそうな予感がするので、この種の自主規制について真面目に考えてみる。何かの事件に見た目が類似しているだけで、関連性があるかどうかもよく分からないまま、自粛して放送が中止になるのはおかしい。

今回の事件については未だ詳細が明らかになっていないが、百歩譲って、仮に虚構の作品を模倣して犯罪が起きたとしよう。しかし、それで自粛しないといけないなら、そもそも犯罪事件の報道をする時点で、影響を考え自粛するべきではないだろうか。

なぜなら虚構の作品だけでなく、事実の報道も模倣されうるからだ。殺人事件だけでなく例えば、「ピッキング」だとか「俺俺詐欺」なども、模倣犯を産む恐れがあるはずだ。しかしおそらく、それに対しては、「自己責任」だとか「報道の自由」がある、と言うだろう。だとすれば、「報道の自由」は「表現の自由*1なのだから、ニュースは自粛しないがアニメの方は自粛する*2というのは、偏っているだろう。

要するに、ニュースなどに比べればアニメの歴史は浅く、元々は子供向けのメディアで、サブカルチャーの位置付けだから、社会的に肩身が狭いという話*3だろう。それはまあ分かる。しかし、さんざん叩かれて引っ込めるのではなく、その事前に空気を読んで引っ込めておくというのは、敗北ですらない逃走ではないだろうか。

*1:憲法についてはここでは触れないが

*2:それにアニメでも、同種の表現がある「クレイモア」は放送されたから、これも基準が分からない

*3:ただし、活字でも差別表現関連などで規制が多いが