西洋シンボル文化と日本イメージ文化(2)

明治編1

萌え理論Blog - 西洋シンボル文化と日本イメージ文化(1)

日本の歴史上、最も短期間に社会が大きく変化した時期は、明治時代だと私は考えています*1。そして、現在の日本の社会システムの原型は明治時代に出来たと捉えています。それは文化や芸術にも大きい影響を残しているでしょう。

例えば、今こうしてブログに書いている言葉も、大きな枠組は明治期の言文一致に出来ています*2。表記だけではなく、言葉の内容もそうです。カタカナ英語はもちろん、よく政党名についている「自由」「民主」「社会」といった概念も、海外から輸入して翻訳したものです。だから、明治以前に「科学」「工学」「哲学」「社会学」「心理学」とか「資本主義」「民主主義」「自由主義」「平等主義」「個人主義」みたいな分野はない*3わけです。あるのは「士農工商」とかです。

当然ですがそれ以前の時代は洋服も洋食も普及していませんし、学校とか会社もなかった*4。時代劇の影響で、学校=寺子屋・瓦版=新聞みたいに何となく連続して見てしまいがちですが、近代の中央集権的なシステムとは大きな断絶があります。例えば現代人の身体動作は、近代学校教育によって広まったのではないか、という見方があります。例えば、学校の体育で行進するのは軍隊の行進の名残ですが、それ以前の農民軍は歩調を揃えて行進できなかった。あるいは、学校の行事で身体測定を行いますが、これは国民の健康を保つだけではなくて、国民の身体の統計データが集まることに意味があります。建築にしても服飾にしても、近代的な大量生産をしようと思えば、平均的なデータが必要になるからです。要するに、軍隊をモデルにした学校・病院・監獄などの社会的インフラが、新しい日本を再構築していったのです。

明治の社会変動

明治期の偉人に、一万円札で有名な福澤諭吉がいます。著書の『学問のすすめ』は、当時の日本人口3000万人に対して、シリーズ累計300万部以上売れた、驚異の国民的大ベストセラーです。当時の人口以外にも、出版の宣伝・流通・販売の弱さや、そもそも識字率が違う*5ことまで考慮すると、現代のコマーシャリズムで濫用されるそれとは違い、真の意味で国民的だと言えます。

学問のすすめ」では「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず(といへり)」という有名なフレーズが出てきますが、もちろんこれは戦後民主主義的な平等主義ではなくて、(これから来る)身分が関係ない時代で、何が貧富の格差を分けるかと言えば、それは学問だ、という主張で、だからタイトルのように学問を勧めるわけです。「といへり」というのが何を参照しているのかといえば、おそらくアメリカ合衆国の独立宣言でしょう。というのも福澤は渡米しているからです。

福澤は勝海舟らと共に太平洋を横断して渡米します。江戸時代に日本人のみですからかなり大変だったでしょう。それで異国の文化を学ぶわけですが、科学技術的なことは書物で既知だったので意外と驚きません。しかし、思考の違いに大きな衝撃を受けました。大統領の子孫をふと訪ねると、知らないと言われたのです。これが当時の日本人なら徳川の子孫は知っています。だから、身分・家柄・世襲的でない社会システムというのが、彼の目には非常に斬新なものに映ったのでしょう。元の話から大きく迂回している気がしますが、明治編まだ続きます。

(続く)

*1:昭和の敗戦などもかなり大きいが、戦前の社会体制は既に欧米列強の影響を受けたものだった。もっと昔に遡って、中世や古代は変化が大きいが短期間ではない

*2:ネットなら野嵜健秀のように、歴史的仮名遣(旧かな・正かな)を使い続けるものもいるが

*3:和算のように一部の学問は発達しているものの、西洋近代自然科学ほどの体系性がない

*4:「学校」という言葉だけなら「足利学校」などがあるが、近代学校教育はなかった。また「日本郵船株式会社」以前にも株式会社的な組織があったという見方もある

*5:他の国に比べれば、それでも高かったが