西洋シンボル文化と日本イメージ文化(1)

西洋文化と日本文化

深く考えないで捨てるように書く - リアルな絵、デフォルメ絵

傾向として、日本人はデフォルメされて輪郭のはっきりしたかわいい絵柄を好み、欧米人はリアルで陰影の強い立体的・写実的な絵柄を好む、というのはあるようには思う。

なぜそうなのか、はわからないが、遺伝子上にそういう情報があるとは思えないから、後天的に獲得される、文化的な理由なのだろう。

ええ、ネットゲーム「セカンドライフ」だとか、顔が濃くて日本人受けしない、ということですよね。西洋文化との違いという話は、日本だと100年以上前から話題になって、未だに人気のあるテーマなので、いつか書いてみたいと思っていました。以下は私の個人的な思考が多分に余分に入っているし、粗が多くて説明不足な文章だと思いますが、それでも何とか、一つのまとまった説明を試みたいと思います。ちなみに、モンゴロイドとかコーカソイドとか、遺伝子によって受容が違うというのはありえますが、ここでは扱いません。

日本編

最初に日本側からの視点で見てみます。まず、日本人と比較して、西洋人の方が顔立ちの彫りが深いから、写実的に描いたときに絵になります。それに西洋の石造りの建築は、硬い人工的なフォルムになるので、背景も写実が絵になります。こういう生活基盤型の文化論の源流に、文学者にして日本文化論の大家である、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』の存在が大きいでしょう。ほの暗い明かりの中に立ち現れるのが日本文化の美である、というようなことを谷崎は言います。

この暗さは現代の比ではありません。昔の明かりは蝋燭や油とかですし、日が昇れば起きて畑を耕し沈めば寝る、というのが昔の庶民の暮らしなので、本当に薄暗いんです。昔の時刻は日の出日の入りを基準にするので、季節によって伸縮してしまいますが(文字通りの「秋の夜長」)、生活がそうなんだからそれはそれで合理的なんです*1。だからもっと昔には「夜景」とかもありませんでした。織田信長が市場を自由化することで、油が庶民にも流通するようになり、安土城から夜景が見えるようになったというエピソードがあります*2。要するに、日本の美術工芸品は地味に見えますが、そういう薄暗い中では神秘的に見える*3、ということです。

また、環境要因型の文化論があります。この源流は、やはり哲学者にして日本文化論の大家である和辻哲郎の『風土』があります。和辻は日本人をモンスーン型風土に位置付けます。アラブの砂漠では大変厳しい環境なので、厳格な一神教が支配するけれども、日本は雨と森林の恵みや四季の変化があって、しかも台風や地震など突発的災害がバンバン来るので、多神教的で現世利益的な国民性になるというような感じです。そして日本人には、霞が掛かっているような曖昧さが美しいという感覚がありますね。例えば、清少納言の『枕草子』の冒頭で、「春はあけぼの〜」と言っている辺りも、微妙で繊細な感覚を良しとしているのが伺えます。

西洋それも地中海辺りは空気が澄んでいて*4明確に物体が見えるので、リアルに物を見る視覚的文化が発達したのだろうと推測できます。芸術の分野だけでなく、幾何学ギリシャ辺りで発達しました。対して目に見えない代数*5は、偶像崇拝を禁じているアラビアの方で発達します。では日本はどうか。景色が豊かなので、やはり目に見える文化は発達するのですが、客観的な写実よりも主観的な描写を好みます。この違いは西洋ではルネッサンス期にリアリズムが起こるけれども、(明治期に輸入するまで)日本にはなかったことに、起因していると思いますが、これは後で詳しく書きます。

地理から歴史へと視野を伸ばしてみましょう。戦後の日本がアメリカに追いつき追い越せで、先進国の真似をすることで、経済復興と高度成長を成し遂げました。しかも、現在の文化は明治時代に輸入したものが多くを占めます*6。このことは次回書こうと思います。さらに、漢字も仏教も稲作も鉄器も大陸経由なので、輸入して加工して自分の文化に吸収する、アレンジ的国民性はもっと大昔から伝統的に存在するでしょう。さて、荒いラフスケッチを一気に描き上げたので、細部の検証は怪しいのですが、このように少なくとも、国民性の形成の過程は、恐ろしく長い時間軸を持っているのは確かだろうと、私は考えます。

(続く)

*1:もっとも、不定時法は室町頃かららしい

*2:これは岡田斗司夫が書いている

*3:もちろん、西洋の教会も薄暗かったりするんだけど

*4:環境汚染・大気汚染がなかった頃

*5:厳密に考えると、幾何の線や点も面積がないので図示不可能だが

*6:東浩紀ポストモダン文化と伝統文化の断絶に昭和の敗戦を挙げているが、文化的断絶は明治の方が大きいと考える