構造的問題は想像力では解決しない

確かに、路上パフォーマは自重した方が良いかもしれないが、「自重」型の問題が実際に自重することで解決していくことはあまりない。例えばこれは違法なところがないけれども、アニメの放映本数が増えすぎているとか、ゲームの技術が進歩し過ぎて開発が難しいとか、競争している個々のプレイヤーに自重を求めても誰も協力しないだろう。あるいは、学歴社会を緩和するため明日のテストは点数を取るなと言われても納得するだろうか。

路上パフォーマは少なくともブロガーよりは想像力があると思う。危機回避能力だって、少なくともただ家でブログを書いている者よりはある。ただし、それは自分が見渡せる範囲に限っての話で、全体的にどうなるかというのは想像しない。これがもし大昔のムラ社会なら、その土地でずっと住んでいくので、建前を守らせるための脅しにも意味があるだろう。しかし、現代は流動性が高いので、例えば秋葉原歩行者天国がなくなれば、また別の場所に行くだろう。

こういう個と全体の利害対立の問題が、建前論による個の自重で解決していくことは、あまりない。そうして出口がないまま問題が膨れあがっていくと、規制を求める動きに向かう。例えば、秋葉原は路上喫煙禁止条例が適用されているが、「コスプレ禁止条例」や「ケツ出し禁止条例」ができるかもしれない。私自身は規制には賛成ではないが、立て看板にあるように、「マナーからルールへ」変えてしまうのが一番効果的だろう。