シンジより軽く跳び、ハルヒより熱く泣く、「時をかける少女」の主人公マコト

和子vs真琴

時をかける少女」(時かけ)の成功は、主人公マコトの設定が大きく影響しているのではないか。原作と主人公を変えてしまうのは、一種の賭けに近いが、制作陣の決断は成功していると思う。学園物なので登場人物も結構いるのだが、少なくとも私の印象ではマコトがイメージの七、八割を占めている*1

アニメ版時かけは、「時をかける」というのを比喩でなく、実際に(命がけの)跳躍にしてしまう。アニメーション的発想が爽快だ。また、時かけは人物に陰がない平板な塗りだが、動き回ることで立体感を見せている*2。それらはもちろん、動き回り転げ回る主人公がいてこそ、遺憾なく発揮されるのだ。また実は、時間移動もののSFとしては粗が多いのだが*3、マコトが脳天気なので、普通の観客には理屈がさほど気にならない。

原作の主人公芳山和子とアニメ版の主人公紺野真琴は、優等生と天真爛漫という風にキャラが全く違うが、それは制作側も時代の隔たりを意識した設定で、結果的に現代にマッチしたリメイクになった。しかも、和子を旧世代の人間として作中に登場させた。待つ人間と走って迎えに行く人間、という対比*4は、単なる原作オマージュではなく、物語で重要な位置を占めている。

シンジvsマコト

この歴史のジャンプを、もう少し近い時代で比較してみよう。「時をかける少女」も「新世紀エヴァンゲリオン」も共に貞本義行のキャラクターデザインだ。しかし、頭を抱えてパイプ椅子に座っているシンジと、階段を駆けて大きくジャンプするマコトでは、同じ中性的なキャラ*5でも全く対照的だ。悩みすぎるシンジと悩まない(でタイムリープに走る)マコト。

もっと大きい話にすると、エヴァのようなセカイ系の作品から決断主義へという流れ、さらに(小さな)共同体主義への時代の流れ*6を汲んでいるかもしれない*7。マコトが欲しているのが、小さな共同体、つまり、身の回りの人間関係なのは確実だ。

なぜなら、もっと別の大きな何かが欲しければ、現在の人間関係が切れるくらい昔へ戻って*8、人生をやり直したいと思うはずだ。実際、本編でも留学してみようかなどと一回は思うのだが、主人公にとっては人間関係を捨てさせるほど魅力的な選択肢ではなかった*9

ハルヒvsマコト

同じ時期のヒロインの涼宮ハルヒと見比べてみよう。これも角川関連の作品だが、少なくともネット上の感想を見る限り、「涼宮ハルヒの憂鬱」が賛否が大きく分かれたのに対して、「時をかける少女」は概ね好評で受け入れられた。これは、単純にマコトとハルヒへの共感度の近いではないだろうか*10

マコトには過去のトラウマがない、少なくとも描かれない、というのは最近の作品では珍しい。ハルヒもトラウマがない方だが、野球場に行って人間の小ささを知るという昔の想い出が描写される。更に言えば、マコトはハルヒのように、ツンデレ=ヒステリー気味ではない*11。それにバニーのコスプレをしたりする性的なところが全く欠けている*12

時かけは、普通の人間には興味ないといって、SOS団を結成するわけではない(未来人はいるが)。マコトは憂鬱ではないので「紺野マコトの憂鬱」ではない。ハルヒと異なり、マコトは現在に大きな不満がなく、素直で脳天気で爽やかだ。少年のような心を持っているところでは、共通するかもしれないが、自分のことだけでなく周囲の人間への配慮がある(後輩の告白を成功させようとする)ところが、大きく違う。つまり、マコトは普通の人間に興味があるのだ。

こなたvsマコト

らき☆すた」の主人公こなたとも対照的だ。こなたもマコトも例えばオタクが共感するキャラだが、距離感が違う。すなわち、こなたが、オタクが過去に送った青春を美化するキャラであれば、マコトは、オタクが過去に送らなかった青春を美化するキャラだろう*13。これは、四コマと劇場版、日常と非日常、という距離感覚の違いがあるかもしれない。

では最後に、マコトと近いキャラは誰か。それは同じ萌え四コマでも「あずまんが大王」の登場人物ともだろう。ともとマコトは似ている*14。しかし、それは設定においてであって、物語においてはやはり異なっている。ともと違って、マコトには恋愛関係に目覚めるという魅力がある。

ここまで見てきたように、マコトは、親しみやすいからといってありがちなわけではなく、ユニークなキャラ造形であり、それがツボにはまって時かけは成功している、と私は思うのだ。

作品

時をかける少女 限定版 [DVD]

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*1:逆に言うと、脇役の存在感が少し薄いとも言える。しかし見ていて単純に、活発なマコトが魅力的だと感じた

*2:アニメ夜話」におけるアニメ評論家の氷川の指摘

*3:「夜話」での「自転車(のブレーキ)くらい修繕しろ」という原作の筒井の指摘はもっともだ

*4:これも「夜話」の岡田の指摘

*5:シンジもマコトも制服はシャツだが、これも中性感を出そうとしているからだろう。また、セーラ服・ブレザー・シャツという時かけの主人公の描かれ方の違いにも時代を感じる

*6:「善良な市民」の論点

*7:善良な市民と違い、だから良いと単純に考えているわけでもない。例えば物語のスケールが小さくなる。例えば、カラオケの延長にはタイムリープしても、消火器を投げる高瀬は救わないという辺りに、フツーの女子高生の限界を抱えている。時代に歓迎されているからといって、マコトがシンジを超えている、とまで言っているわけではない

*8:ただ、マコトのタイムリープのやり方では、跳ぶ力が戻れる時間に比例するように見えるので、そう昔へは戻れないかもしれない

*9:ただし、最後に「未来で待っている」という台詞で終わるので、現在の人間関係を捨てて未来にジャンプする、という選択肢も、可能性として薄いが、全くないわけではないかもしれない

*10:もちろん、他にも理由はあるだろう。時かけは劇場アニメなので、自分で金を払って見たから、というのもあるかもしれない。またブロガー試写会などの宣伝活動が功を奏したのかもしれない。しかし、同じCGM的作品としてみると、やはり評価が大きく分かれている

*11:ここでも、だからマコトはハルヒを超えている、と言いたいわけではない。マコトと違いハルヒは常に欲求不満でかつ、自分が何がやりたいか分かっていない(SOS団は仮のものに過ぎない)のだが、そういうヒステリー性が既存の常識を超える創造性に繋がる場合もある。例えば、マコトが身内の人間関係で閉じているのに対して、ハルヒは外部の人間にライブを行う

*12:例えば、いくら転げ回ってもパンチラは見せない。だから、細田守と対談した富野の、SEXだけを考えているように見える、という指摘はいささか的外れのように思われる

*13:更に言えば、「まなびストレート」が未来に過去を投影する世界観なら、時かけは過去に未来を投影する世界観だ

*14:あずまきよひこ.com: 映画を見てきたのマコトはとものパロディのようだ