まとめの道を行けばどうなるものか

id:acqua_altaさんの文房具まとめ記事を見て、反省するところがある。「文房具」をまとめるという発想が私にはなかった。もちろん私のSecondLifeまとめは少しも手を抜いていないし、よく知らないが情報が欲しい人に役立つように書いたつもりだ。しかし例えば、「そろそろ記事が溜まってきたからまとめ時だ」というような、供給側の都合でまとめのジャンルを選んでいるところはある。そうではなくて、まずもっていま何が必要とされているのか、という地点から考えるべきだろう。押し付けたまとめは誰も欲しくない。

まとめ路線に切り替えてから、例えば萌え系の広告もそうだけど、あちこち不整合が出てきている気がする。アドホックにやっている中で、いったい誰に何を伝えたいのか曖昧になってきた。記事の内容も文章もデザインも全て関連しているのが理想的だ。一月二月は一日辺りの記事数をつい増やしてしまって、週休二日で書いている意味がなかったが、今月はきちんとメンテナンスしたい。ちゃんと使いやすいUIにしなければいけない。現状は例えば文字に絞っても、読みやすいとはお世辞にもいえないだろう。変えられない要素はない。

「ブログはブロガーなり」というが、このブログの場合、私はブログに教えを乞うつもりで書いている。何を書けばいいのかはブログに教えてもらう。自己満足に成長はありえない。もちろん、「自分の好きなように書く」というのはそれはそれで非常に大事なのだけれど、私にとってこのブログは自分の家というつもりでは全くなくて、むしろ単身で出張して来ているような感覚で書いている。だから「sirouto2の日記」というタイトルにはしなかった。読者にとっては私は中の人でしかないからだ。*1

ブクマがつかなければ打ち切りという緊張感と、セルクマで1getして1usersのままのときの不安感。なぜ緊張して不安になるかといえば、何を欲しているか分からない他者に向き合うからだ。これは常連の信用を得ることである程度緩和するが、原理的には常に命懸けの跳躍であることには変わりない。例えば明日「はてなまとめ」という新サービスが始まって、私のブログは誰も読まなくなるかもしれない。しかし、そのときは真っ先に「はてなまとめ」を紹介すべきだろう。

*1:だから、今は過渡期だから書いているけれど、最終的にはこういう「雑記」も消滅していくのが理想