asin:4861990025:3*[書評]「電波男」書籍レビュー

恋愛資本主義の中心で萌えを叫ぶ非モテ

今更だが非モテの話が出たついでに触れておくと、本田透の主張には全く納得できない。萌え文化は恋愛資本主義から逃れるどころか、それをより純化したものだと思う。「恋愛資本主義2.0」と言ってもいい。

なるほど、個人の恋愛行為が、至高の純愛という観念から堕落して、メディアの広告戦略に、娯楽の道具に、資本の論理に、汚染されている状況はある。でも萌え文化だって資本主義だろう、常識的に考えて…。マンガ・アニメ・ゲーム・ラノベ・エロゲ…どれ一つ例外ではない。しかしそれらが否定されるわけでもないだろう。今の日本に昔の伝統文化が残っているように、時代や制度とはまた別のものなのだから。

現実の恋愛が、どんなにパラメータ化して資本に汚染されても、個人が判断し行動する余地は残っている。対象が人間だからだ。でも、二次元萌えは最初から資本100%である。対象が商品なんだから。もちろん、「(恋愛資本主義的)恋愛」と「純愛」を区別するとか、そういう理屈なんだろうけど、都合が良くてあまり納得できない。

もっとシンプルに、資本主義であろうとなかろうと、現実だろうと虚構だろうと、比較対照ではなくそれ単独で、良いものは良いと言えないのか。ルサンチマンに関係なく、(仮定なので証明しようがないが)現実が素晴らしいものであっても良い、と言える作品に出会いたい。単に肯定したい。