名前が時間をつくる

固有名・時間・信用

「固有名」「時間(軸)」「信用(性)」の問題を論じよう。まず三者の関係を以下の命題で表す。

  • 固有名がなければ時間軸がない
  • 時間軸がなければ信用性がない
  • 固有名がなければ信用性がない

解説しよう。ある対象が同じものだと識別できなければ、(たとえ物理的時間は均一に流れていても)その対象の認識には時間軸がない。だから、固有名は時間的認識を支える形式だ。例えば、道で見かけた野良猫はひょっとしたら過去にも見ているかもしれないが、個体を識別できなければ時系列に沿って記憶を読み出すことができない。個体の認識を可能にするのは、顔のような特徴的な部分で、その識別性を踏まえて名付けるが、普通は記憶を割くだけの価値があるものに命名する。野良猫に名付けることはあっても、路傍の石に名付けることはないだろう*1

そして、このように体験をその場限りではなくて、四次元体積にインテグラルするところに、名前の価値があるだろう。例えば、毒キノコを食べて腹を壊しても、特徴を覚えておけば、時間を置いた次のときに食べなくて済む。そして、名付けによってこの価値体系を不特定多数間で共有することで、経験のコストを省くことができる。有名な毒キノコを覚えておけば、最初から食べなくて済む。これが組織や個人に適用されると、「有名大学」「有名企業」のように権力や権威として現れる。ただし、表層的な名前の流通のみを信頼して、経験的検証が抜けていくと、「学歴神話」「土地神話」「中流神話」「安全神話」のようにしだいに神話化する。神話には時間の流れがない。

一般に、信用の大きさは時間軸の長さにおおよそ比例する。別の角度から見ると、時間軸が長い売買・契約には大きな信用が必要になる。例えば明日明後日に潰れたりしないだろうという期待があるから、銀行は金の貸し借りができるのである。しかも信用は利子という形をとって具現化する。例えば信用がない者はグレーゾーンの金利で借りるはめになるというわけだ。また「クレジットカード」のクレジットは信用のことである。金融・保険・貴金属・不動産などの分野では、動く額の大きさもあるが、ある程度時間を置かないと商品が検証できないので、信用が必要とされる。

一方、短期的に消費する分野では、無名の組織・個人が活躍できる場面がある。例えば、コンテンツ、それも娯楽の分野はそうだ。宝石のように真贋があるものと違い、マンガは読者が読んだものが全てなので、無名の新人の作品がヒットすることもある。もっとも、有名作家への信頼もまた大きいが。また仔細に見ると、盗作などの信用問題ではそう単純ではないだろう。ところで、ラノベはエロゲほどブランド力がないという話を聞く。今の文脈で見れば、これも時間軸の違いとして解釈できる。ラノベは書店で立ち読みできるが、エロゲはゲームショップで立ちプレイできない。もちろんデモムービーや体験版はあるが、エンディングまでは何十時間も掛かる。

2ちゃんねるのような匿名掲示板の「名無し」は無時間的・空間的存在である。名無しで書いた場合、どれが自分の書き込みかすら分からなくなってしまう場合があるからだ。だから外部から見た時間的厚みというものはない。ネットであっという間に時間が過ぎてしまうと感じるのは、想起させる証拠が残らないのも要因としてあるかもしれない。あるいはクロノス時間とカイロス時間の区別を導入してもよい。顔文字やコピペが象徴するように、ネットではしばしば話題がループするが、それは祝祭的な無時間を生きているのかもしれない。だからVIPPERは「ビューティフルドリーマー」なのである。

*1:ここで、価値がなければ固有名がなく、しかも価値の一部は信用に由来するので、価値→名前→時間→信用→価値→…の循環形にした方が、見た目はすっきりするかもしれない