生命の神秘は確率的か

平凡な奇跡

分裂勘違い君劇場 - とてつもない奇跡
分裂勘違い君劇場 - 世界に一つだけじゃない花(関連)

(…)ところが、ここに、100回どころか、何万回、いや、何億回も宝くじに当たり続けるほどの、とてつもない奇跡が存在する。

それは、「あなた」という存在である。

あなたが、何気なく、澄んだ初秋の青空を見上げ、「ああ、今日も気持ちよく晴れたなぁ」と、心地よく感じることができる確率は、数兆の数兆倍のさらに数兆倍のそのまたさらに数兆倍分の1以下の確率なのだ。

そもそも、もし、ビッグバン膨張の初速が、実際より、ほんの少し遅ければ、宇宙は0コンマ数秒で、収縮して終焉を迎えただろう(…)

図


単純な誤解。上図を見てみよう。あなたが〜青空を見上げ〜確率(以下「青空確率」)が緑の小さな四角、宝くじに三回当たる確率(宝籤確率)が黄色の四角、ビッグバン膨張の初速が〜確率(宇宙確率)が青の大きな四角(画面下にずっと続いている)だとする。


元記事の流れはこうだ。まず、赤の矢印の視点で見て、青空確率と宝籤確率を比較すると、宝籤確率の方が大きい。次に、紫の矢印の視点で見て、宝籤確率と宇宙確率を比較すると、宇宙確率の方が大きい。そして、赤の視点に戻って、青空確率は宇宙確率を土台にしているから、青空確率の方が大きいと主張する。しかし、宝籤確率も同様に宇宙確率を土台にしているから、宝籤確率の方がやはり大きい。つまり、青空+宇宙>宝籤ではなくて、青空+宇宙<宝籤+宇宙ということ。


もっと端的に言おう。あなたが青空を見上げるのがビッグバンの奇跡があってこそなら、宝籤に当たるのもビッグバンの奇跡があってこそなのだ。そして、青空を見上げる確率はビッグバンの確率より少ない。なぜならビッグバンがなければ、あなたは青空を見上げられないからだ。もしこの比較に違和感を感じるなら、宝くじとの比較も奇妙なものだったのである。

意志と価値

もう一つは、意志を考えていない。「2006年9月4日22時16分」と今の時刻を声に出して読み上げたとする。いまそういう行為をしている人がいる確率は極端に少ないだろう。しかしやろうと思えばいつでもできることなので、全然稀少ではない。「『2006年9月4日22時16分』を読み上げた人間がいる確率」は極端に少ない。宝くじに当たるくらい少ないかもしれない。が、「今の時刻を読み上げようとして成功した確率」なら98%くらいあるのではないだろうか。しかし、「宝くじを当てようとして成功した確率」はそうはいかない。


要するに物差しが違っていて、「国際円相場では100cmより10kgの方が速度が速い」というような感じなのである。これを一般化すると、価値を考えていないということになる。例えば「うんこの味がするカレー」を食べさせてくれる店が、宝くじ並に低確率だとしても、そんなものは有難くも何ともない。ありふれたマックのハンバーガーや吉野家豚丼松屋のカレーの方が嬉しい。では、われわれの生命はどうか。これについては次で考えよう。

精子決定論

1回の射精だけでも、数億もの精子が放出される。そのうちの、たった一つの精子だけが、あなたになるのだ。あなたの元となった精子が、途中で膣壁のどっかに引っかかってもたもたしている間に、別の精子卵子に飛び込んでいたら、あなたは存在していなかったのだ。


こういう論法も性教育で「生命の神秘」を説いたりするときによく使われるが、違和感がある。「私」のあり方は精子によって決定されるのだろうか。「男の金玉には魂が詰まっている」とでもいうのだろうか。だいたい、妊娠して子供が出来るときには、何億分の一という風には言わない。精子の中に何億人もいて、その中から「誰が生まれてくるのか」とは考えず、「わたしとあなた」の子供という風に考えるだろう。


これは因果関係を時間順に追っていくときに生ずるタイプの誤謬ではないか。というのは例えば、「風が吹いたら桶屋が儲かる」というのも、桶屋のあり方は風によって決定されてしまうことになる。決定要因はもっとたくさんある。例えば、私が決定されるのは「物心つく頃」にもありそうだ。過去の私は少しも変えられないということと、精子決定論を混同しているのではないか。生命の価値は確率的稀少さではなくて、別のところにあるのではないか。


ここで更に、ビッグバン決定論も同様に疑えるところが面白い。というのは、例えばビッグバン以外に宇宙が生まれる方法があって、その方法がたくさんあれば、七割方成功していたかもしれない、という場合もありうる。また単に、神が下手な鉄砲を振り回して、ビッグバンがバンバン起こっていれば、この宇宙が産まれる確率は全然低くないということも考えられる。要するに確率とは事象が生起する頻度*1なので、視点の取り方で全く違ってくる。

*1:主観的確率の話は関係していると思うがここでは触れない