コミックサイト紹介

OrangeStarComics

作品

OrangeStarComicsは短編マンガを掲載しているサイト*1。代表的なモチーフはリストカットする少女だが、駄洒落や下ネタやパロディも多く、見る人を選ぶかもしれない。しかし、ネガティブな少女のキャラ立ちが素晴らしく、下手なプロのマンガよりよほど印象に残る。すっかりこのサイト*2によって、リストカット=ショートカットという図式が脳内に植えつけられてしまった。


私は元々ネガティブな少女が好きで、本当は人に紹介したりせず、夜中に独りで読みたいマンガなのだが、そういうマンガをWebで見つけることはほとんどない。そういう意味で本当に稀有な存在だと思い、紹介した。…ただ、投稿用の四コマ*3が、他の作品に比べやや不自由な感触がする。そこで、非常に大きなお世話だと思うが、勝手に原因を考えてみた。

  • ネタの制約

エログロナンセンスを意識してしまうだろうし、パロディが封じられてしまう

  • 四コマの制約

自由にコマの形が割れず、コマが四つに固定されるのは、意外と大きい制約

  • ペン入れの制約

ペン入れをすると読者が脳内補完する余地が減り、結果的に弱い印象になる。

コマ

ここではマンガに本質的なコマとペンについて詳しく触れる。まずコマから。作品の多くは登場人物が会話をしているだけで間が持っている。これはコマの形と大きさで間が成立している。爆弾発言は大ゴマで、つぶやくような台詞は縦か横に細長いコマで、というようにマンガのベースとなる感覚をコマが受け持つ。


ところが四コマではそれが均一になってしまう。もちろん、多くの定型四コマは日常を描くのが目的なので、派手な変形や大ゴマは必要ないが、しかしギャグマンガならそれでも変化は欲しい。そこで例えばペンによる線の強弱やベタとトーンの明暗でアクセントをつけたりして、他の部分でカヴァーすることになる。

ペン

商業誌のマンガはペンで描く。これには印刷の問題もあるが、原理的に言えば、マンガにおいて鉛筆の線はモラトリアムなのである。輪郭=描線が一つに定まらない分、読者が自分のイメージを投影して補完でき、作者も読者も心地良い私的空間に居られる。そこをあえてペン(とトーン)で描くということに意味があるのだ。ペンは一定の方向にしか描けないので鉛筆より扱いが難しい。


しかもそれが今回の場合、リストカットというテーマと関係してくる。生と死を描くには紙の白さとベタの黒さのハイコントラストな画面が相応しいのだが、少なくとも、手首を切って流れる血はベタでないと痛みが伝わらない。鉛筆はペンより表現力が豊かで、まるで夢で見るイメージのような、雑多で曖昧な輪郭は心地良いのだが、その温かみをあえて捨て、冷たく無機質な白と黒で描き続けたときに、目が醒めるように映えた画面が生まれる予感がする。*4

作者

 僕の漫画の根底にあるものは「みんなが幸せに上手くいっている中で一人だけそこから阻害されている感じ」なんですよ。ルサンチマン、みんな俺とおんなじように不幸になれ!っていう。

 で、そうなんだけれども、最近、なんか、そういうルサンチマンが、なくなってきた、ていうかもてなくなった。だってみんな不幸なんだもん

 (…)だって死ぬもの。ただ死ぬんじゃなくて、屈辱となんか声に出来ない怨恨とか地獄の苦しみのなかで死ぬもの。理不尽に死ぬもの。


時代に敏感な作者は、創作の動機の低下をこのように語る。確かに、90年代に社会を覆った暗雲は、どこにも消えたりせず、ますます拡散し蔓延した。そのとき、ひどい現実から目をそらす方法として、安易な感動が動員されるだろう。そうした00年代へのアンチテーゼとして、救われなさ、苦受の経験そのものを描く作品への希求は残っているはずだと思う。既に商業媒体に掲載された作者としては、もうWebで発表することは魅力的ではないかもしれない。それでも、思春期の少女に託した不安に共感した読者としては、続きが待ち遠しい。

*1:萌理賞関連で言及された機会に取り上げさせて頂きました。よく見たら「可能世界」時代にアンテナに登録して頂いている…

*2:あともしかして某VNIのパロディVNIとかも

*3:「目に入ったらどうすんのよ」のコマを商業誌の投稿欄で拝見したことがあります

*4:今回は全体的にエラソーな文体になってしまいましたが、ペンで冷たく描く重要性を書くのに、馴れ馴れしい文体だと伝わらないので、あえてこう書きました