ライトノベルの定義について

「あなたがそう思ったらそれが○○」メソッド

ウィンドバード::Recreation - あなたがそうだと思うライトノベルの定義は?

「あなたがそうだと思うものがライトノベルです。ただし、他人の同意を得られるとは限りません。」


むしろ逆に、「他人の同意を得られるものがライトノベルです。ただし、あなたがそう思うとは限りません。」と言いたい。「あなたがそう思ったらそれが○○」というのはよくある発想だが、境界的なものや例外的なものがあるからといって、人それぞれだということにはならない。そう思いたい動機は、ひとつには「○○はそんな単純じゃあない」と特権化したいためだろうが、○○の定義がある程度収束したからといって、○○が単純で無価値で不自由になってしまうわけではない。


あなたがどう思おうが、出版社や書店や他の大多数の読者が「ライトノベル」と捉えているものがライトノベルだろう。あなたが百科事典や料理レシピや六法全書ライトノベルだと思えば、それがライトノベルになるのだろうか。そう極端な例ではなくて、例えば昔のジュブナイル小説ヤングアダルト小説とか、境界的な線引きの難しい例は出てくるだろう。またあるいは、対象の集合が時代で変化して「絵巻物はライトノベルの元祖」とされるかもしれない。そのような対象の同定が不確定な面というのは確かにある。


しかし定義の不可能性と不完全性は区別しなければならない。これは作者の側に置き換えるとよく分かる。完全なライトノベルなど誰も書けないだろうが、だからといって書くのが不可能なわけではない。また、万人が賞賛するものも書けないだろうが、だからといって作者が良いと思えばそれが良いライトノベルだというわけでもないだろう。要するに正解ではなくても答えを出すことはできる。数学のように厳密ではないが、「ライトノベル」という大まかな枠組みは存在する。まともなライトノベルの人気投票で、近代彫刻やクラシック音楽ファミコンソフトなど、票の対象がバラバラになるだろうか。


だから、「ライトノベル」という言葉が使われるときに、話者が何を指示しているのか、といった統計を取れば、だいたいの集合は補足できる。それは完全なものではないだろうが、少なくとも、たぶん『AK47自動小銃(あるいは吉野家の牛焼肉丼など)はライトノベルだ』と『灼眼のシャナライトノベルだ』との間に差を見出せるだろう。そしてそれは、「いや俺はAK47自動小銃(あるいは吉野屋の牛焼肉丼など)がライトノベルだと思う」と言ってもダメなのである。ここで終わるほど定義論は単純ではないが(例えば誤解して使っている人の方が多い言葉はどうかなど)、言語実践への注目という一つの視点は示した。

ライトノベルらしさとは何か(オマケ分析)

上までで言いたいことはほとんど言ってしまったのだが、オマケでライトノベル「らしさ」は何か適当に考えてみる。もちろんこれは私の分析に過ぎないので、同意されなくても全く構わない。それでまず、「ノベル」が何かはあまり困らないが、「ライト」が何なのか悩むところだ。これに一応の答えを当てはめて見ると、欧州の国がEUに属しているみたいに、マンガ・アニメ・ゲーム共栄圏に属しているものがラノベらしいと感じるのではないだろうか。現実に対して虚構だからライト。その際にもしイラストが全くなくても、読者が登場人物を実写よりアニメ絵で想像しているのなら、やはり共栄圏の恩恵を受けているだろう。それにかつてのジュブナイル小説(や一般の小説)が実写化よりだとすれば、今のラノベはアニメ化よりと言える。


ライトノベルはキャラクター小説とも言われるが、「小説のキャラクター」ではなく「キャラクターの小説」という風に、メディアミックスの根底には転倒した視点がある。その視点を徹底すれば、キャラクター小説だけではなく、キャラクターアニメ、キャラクターゲーム(キャラゲ)、キャラクターグッズ、という風に統一して記述できてすっきりする。すっきりしたところで、しかし、最後に付け加えておくと、そういう翻訳圏に収まらない固有の作品群がある。それらは境界に位置しているが、単にジャンルの周縁にいるのではなくて、ジャンルの限界に位置しているとも言える。そこがジャンルを作る(あるいは作ろうとして失敗する)作品の場所である。