ファーストワード化するネット

スーパーサイト・ミー

「ファーストワード」とは私の造語で、「早いサイクルで消費される言葉」程度の意味である。そして、(ケータイを含めた)ネット上の掲示板・ブログ・SNSSBMなどは大体がファーストワード圏に属している。これは、言語活動をファーストフードのイメージで捉えた単なる比喩で、科学的根拠などは全くない。しかし、経験則から言うと、ファーストフードばかりに接していると、精神的肥満になるような気がする。


ファーストワードは早くて安価でそこそこ旨い。例えば深夜でも利用者の多い掲示板に書き込めばすぐ返答が返ってくる。もしこれが現実なら深夜に友達の家に押しかけたりすれば、ふつうは迷惑がられるだろう。ファーストワードはコピペや定型句などが中心で、深みのない安っぽい味付けだが、一度慣れてしまえばその濃い味付けの虜になる。場所によっては罵倒も激しいが、それも激辛調味料を好むようなことかもしれない。(文字が主体なので)通信は高速だし、顔が見えないので気楽だ。しかも24時間全国どこにいても接続して会話することができる。


だが、ファーストフードばかり食べていると肥満になりやすいように、ファーストワードばかりに接していると精神的肥満になりそうな気がする。精神的肥満というのは、精神の働きが無意味に複雑化して、問題に対応する能力が低下する、という程度の意味で、やはり医学的根拠などは全くない。実生活で何らかの苦境に陥ったときに、目的を見失ってネガティブな感情に満たされている状態は、精神的に身軽でないのでそう呼んでいる。

スローワード

この問題に解決法はないのか。たぶんある。例えば、「スローフード」や「スローライフ」と同じく「スローワード」を実践すればよいのではないだろうか。しかし、ここではその内容を述べない。なぜか。もしここでとうとうと述べて更に納得されたとして、それこそファーストワード的な文化の内側で消費しているに過ぎないからだ。「ああそうか」といった瞬間、そのことはすぐ忘れて、また次の記事を消費するだけのことだろう。だからネットの外部に接続するために、この文章自体は「気持ち悪い」不安を残しつつ、いまここで破綻するしかない。