なぜ、やおいに相当するジャンルが男性にはないのか2

ラブラブドキュンパックリコ - ネタふりその2

同性愛者向けの「異性愛もの」はなぜ存在しない(かどうみても異性愛者向け「同性愛もの」の割合より少ない)のでしょうか?


面白い問いですが、あまり不思議だという感じはしません。なぜか。全体を100人としたときに同性愛者が10人いるとします。そうすると同性愛者の中で異性愛ものが見たいという人は、1人くらいになってしまうのではないか。そうすると需要が足りないから作られないでしょう。本当はもっと多いかもしれません。でも、異性愛者向けの異性愛ポルノは既にたくさんあるので、それで代替することもできるかもしれない。そうすると制作側は間口が広いふつうの異性愛ポルノを作った方が割に合うわけです。もちろんメジャーがマイナーより偉いということではありませんが、市場は無視できない。

三次元で男と付き合いつつ、二次元美少女萌えなゲイの存在というのは、どのような位置づけになるのか(「萌えジャンル」の補足的事項なのか「ゲイジャンル」の補足的事項なのか)

それは、「萌え」「ゲイ」ジャンル両方の少数派(「補足」とか「例外」が嫌な感じがするかもしれないので言い換えてみました)に位置づけられるのではないでしょうか。というのは、二次元ではショタでも百合でもふたなりでも何でも嗜好するが、三次元ではヘテロセクシャルである男(オタク)は多いでしょう。逆は少ない。それも前述の理屈に似ていて、二次元の方が(百分の一くらい)制約が少ないだろうから、そうなるのだと考えます。


ただ、男・女の軸、異性愛・同性愛の軸、現実・虚構の軸、という多元的な見方は示唆に富むところです。試みにこれらを組み合わせて述べてみましょう。なぜ男にやおいに相当するジャンルがないのか改めて考えます。女は男より恋愛(性愛)のパートナーを得るコストが低いです。その根拠としては、風俗は男が女に金を払い、逆は極端に少なくなることが挙げられます。従って、男の場合は虚構で単に異性愛を消費するが、女の場合は現実でもわりと異性愛を得やすいので、異性同士の同性愛(男×男)という現実には体験できないことを虚構で消費する、となります。